マツダでミラーサイクル・エンジン開発を主導したエンジン博士の畑村耕一博士(エンジンコンサルタント、畑村エンジン開発事務所主宰)が、2020年のスタートにあたり自動車用パワートレーンの将来:2020年の年頭に当たって」を寄稿してくださった。年初の恒例となった畑村博士のエンジンの専門家としての意見、視点をぜひご覧になっていただきたい。
TEXT◎畑村耕一(Dr.HATAMURA Koichi)
1:まえがき
2020年、令和二年の新しい年の始まりにあたって、将来の自動車用パワートレーンが進むべき方向を筆者なりに考えてみたので、自動車業界とも電力業界ともしがらみのない意見を読者の皆様に公開したいMotor Fan illustrated誌に連載している「博士のエンジン手帖」のように楽しんでいただければ幸いである。
これまでを振り返ってみると、2018年には「2017年パワートレーンの重大ニュース」と題してEVフィーバーに関する警鐘から始まり、日産ノートe-POWERとSKYACTIV-Xの技術解説と電気自動車(EV)のCO2排出量の算出方法の話に続いて、 2050年を見据えた2030年までのパワートレーンの進むべき道を提案した。
結論は、EVと日産のe-POWERの電動駆動は素晴らしく快適な走りを実現できるが、Well-to-Wheel(油井から車輪まで)で評価するとEVは石炭火力からたくさんのCO2を排出するので、EVよりハイブリッド(HEV)の方がCO2削減効果が大きい。不安定な再生可能エネルギーが原因で生まれる余剰電力から水素を生成して気体から液体までの燃料を製造する開発が進められているので、将来的には燃料電池車に加えてHEV(従来エンジン車)もカーボンニュートラル走行ができるようになる。
筆者のグライダーパイロットと電動車両の開発の経験から「エンジンはないほうがいい」という哲学を持ったこと、最近は、EVフィーバーが起こってンジンはなくなるという風潮が生まれていることに対して「エンジンはなくならない」と主張していることを述べた
車の駆動力特性から考えて、エンジンとトランスミッションの組み合わせでは電動駆動のような車の理想とする走りは実現できない。多くのユーザーがEVの快適な走りを知ってくると、エンジンが直接タイヤと繋がっていないEVに匹敵する快適な走りが要求されるようになる。
各種環境対応車のCO2排出量を、実用燃費に近いEPAの燃費ラベルを使ってエネルギーの発生過程を含めて算出した。当面はEVよりHEVの方がCO2排出量が少ない。EVでCO2を削減するには、不安定な再エネ発電から生じる余剰電力を使って充電することが必須である。
欧州では、余剰電力を使って天然ガス自動車に使うメタンを生成するe-Gasプラントが稼働している。加えてガソリンや軽油の代わりに使える燃料(e-Fuel)を製造する開発が進められているので、将来的にはEVだけでなくHEV(従来エンジン車)もカーボンニュートラル走行ができるようになる。
理想の走りの実現には電動駆動、CO2排出量の削減にはHEV、という条件を満たすパワートレーンはe-POWERで実用化されたシリーズハイブリッド(S-HEV)になる。 その走り感は特筆もので、エンジンが特定運転領域に限られることから、専用エンジンにすれば大幅な燃費向上が可能になる。
S-HEV専用エンジンの採用技術を考えた。SKYACTIV-XのHCCIは、低負荷の熱効率を改善できてもピンポイントの熱効率向上には適さない。日産の可変圧縮比は、ピンポイントの熱効率向上には必要ない。SIPではロングストロークのスーパーリーンバーンで熱効率50%の実現を目指している。
S-HEV専用エンジンは低負荷運転が不要なので、超ロングストロークの2ストローク対向ピストンエンジンを復活できる可能性がある。 2ストロークはA/F30でも4ストロークと同等のトルクを発生するのでスーパーリーンバーンと相性がいい。超高効率のこの単気筒エンジンは無振動を実現できる。
以上のことをベースに、2019年の筆者が注目した出来事を取り上げ、それぞれの思想と技術を紹介して、自動車用パワートレーンの将来像を示したい。
2:2019年の注目すべき出来ごと
(1)SIPが終了してスーパーリーンバーンで50%の熱効率の実現の可能性が示された。
1月には日本中の大学を巻き込んだ、「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)革新的燃焼技術」の産学連携の5年間の研究成果報告が行なわれた。ガソリン・ディーゼルとも熱効率50%を達成したとしている。
図1にガソリンエンジンの熱効率向上経過を示す。ガソリンの主要技術は、ングストロークS/B=1.7、高容積比(幾何学的圧縮比)15の基本仕様を選定してλ=2のスーパーリーンバーンを実現したことだ。さらに排気エネルギー回収の熱電素子や摩擦損失改善などで51.5%の熱効率を達成する可能性を示している。
最も注力した技術はスーパーリーンバーンで、従来では着火しないと言われていたA/F30を超えるリーン混合気を安定燃焼させることに成功した。A/F>30になると燃焼温度が1800K(ケルビン。摂氏約15267度)以下でNOxがほとんど発生しないので、三元触媒が使えないリーンバーンでも高価なNOxの後処理が不要になる。具体的手段は、吸気ポート形状で強力なタンブルを生成した混合気に高エネルギーの多重点火することで、図2に示すように電極間の火花が途切れて火炎核が燃焼室内に多数ばらまかれ、圧縮上死点に近づいて混合気が高圧高温になると多点から急速燃焼が始まるというものだ。点火と火炎伝播の可視化と3Dシミュレーションによって火花点火燃焼の基本的な現象を解明したという研究成果は、各自動車メーカによる今後の燃焼開発に大いなる貢献をするものと期待される。
9月には欧州で、12月には日本で待ちに待ったSKYACTIV-Xの販売が開始された(図3)。理想の燃焼と言われたガソリンHCCIエンジンの世界初の実用化である。HCCIの問題点である燃焼時期を図4のようにスパークアシストでコントロールして、燃焼時期に大きな影響のあるエンジンと吸気の温度を一定に制御する熱マネージメントと、大きな燃焼騒音を外部に出さないためにカプセルで包み込むエンクロージャーを採用している(図5)。その他、HCCI燃焼の制御とSI運転との切り替え制御などに惜しみなく解析技術を活用した技術を投入している。
この技術を特集したマツダ技報No39には、詳しくその開発経過が紹介されている。
専門家でない読者には難しい内容だが、マツダが全社を挙げて「ワンチーム」になってこのエンジンを開発した雰囲気を味合うことができると思う。世界中どこを見ても、これだけの難しく総合的なエンジン開発ができるのはマツダ以外にないだろう。
専門家でない読者には難しい内容だが、マツダが全社を挙げて「ワンチーム」になってこのエンジンを開発した雰囲気を味合うことができると思う。世界中どこを見ても、これだけの難しく総合的なエンジン開発ができるのはマツダ以外にないだろう。
HCCI燃焼と低燃費を実現するために、図6に示す超高圧燃料噴射系(ポンプ、インジェクター)、各気筒毎の筒内圧センサー、エンジンルームカプセルを使った温度制御と遮音、24Vマイルドハイブリッド、ルーツスーパーチャージャーとLP(低圧)-EGRの組み合わせ、GPFなどなど……。HCCI燃焼だけでなくそれに付随する新開発技術が目白押しだ。HCCIの陰に隠れて目立たないが、高容積比16.3(国内仕様は15.0)でもノックを抑制する混合気生成技術や早閉じミラーサイクルほかの技術にも注目が必要だ。
筆者が1990年代にミラーサイクルを開発したときには新開発のリショルムコンプレッサーほかの新しい部品のコストが驚くほど(安定した大量生産時の予測の3-5倍)高くなって販売価格を上げざるを得なくなってしまったように、SKYACTIV-Xもディーゼルエンジンより高い価格設定になってしまったのが残念だ。対照的なのが大成功を収めたSKYACTIV-Gの場合で、この技術には世界初の新規開発部品は皆無だった。長い4-2-1排気管を中心に、既存技術を巧みに組み合わせて当時世界最高の容積比14を実現したのだ。
世界初のHCCIの実用化は素晴らしいことであるが、実際の燃費値(CO2排出量)をみると、車が重くなってしまったこともあって、マイルドハイブリッドを組み合わせているにもかかわらず、飛び抜けて燃費が優れているわけではなさそうだ。これでは、ストロングハイブリッドに燃費で対抗するのは難しい。コスト面では、大量生産が可能になった時点でもディーゼルエンジンに対しての優位性は大きくないだろう。走りの面では、一部のマニアを除いて、低速トルクが十分あるディーゼルエンジンの方が好まれるはずだ。結局SKYACTIV-XはガソリンHCCIエンジンの限界を示したように筆者は感じている。
話をレースの世界に移すと、2014年から量産車につながる技術開発を目指して、空気流量規制から燃料流量規制に大きく舵が切られた。その結果、過給リーンバーンの世界に突入していくことになった。そのため各チームは発電用天然ガスエンジンに採用されている副室燃焼方式を導入した。現在ではすべてのF1チームが副室燃焼を採用するまでになった。トヨタのWECのエンジンも副室を採用している。
副室燃焼とは、図7のように燃焼室内に容積比で5%程度の副燃焼室を設けて、その中に設置した点火プラグで燃焼を開始、小さな連通口から吹き出すジェット噴流に乗せて火炎核を主燃焼室中にばらまくと同時に、強い乱れを作って多点急速燃焼を実現する技術だ。燃焼室全体はリーン燃焼であるが、副室内は点火が可能な空燃比に設定する。副室内にインジェクターを設定するかしないかによって図7左のアクティブ方式、図7右のパッシブ方式と区別して呼んでいる。高年齢の読者には1970年代に実用化されたホンダのCVCCエンジンを現代の直噴技術を使って復活させるというとわかりやすいかもしれない。前者がホンダのCVCC、後者がトヨタのTGPに当たる(図8)。
ここから先は専門的になるので、興味の薄い読者は読み飛ばして次の話題に進んでもらいたい。SIPほかの研究で、NOxが生成されないA/F≒30の混合気でも火炎核が形成されて、高温高圧の条件になると火炎伝播が始まることがわかってきた。これまでA/F≒30リーンでは着火しないと信じられてきたのは、実は火炎核はできるが燃え広がらない、燃え広がっても燃焼速度が遅すぎて安定しないというのが正しいのだろう。燃焼速度を実用範囲まで早くするのが、
A: SIPの強タンブル+強力多重点火、
B: SKYACTIV-XのHCCI、
C: レースエンジンの副室燃焼
というわけだ。Aの技術は強タンブルと多重点化に依存するところが大きく、ばらつきを考えると制御が難しい面がある。Bは自着火に依存するので不安定な急速すぎる燃焼を抑えることが難しい。Cについては、制御が難しい自着火がなく、比較的調整パラメーターがたくさん(副室容積、噴口面積、副室空燃比)あることが特長だ。ただし副室内がNOxが出ないA/F>30で着火する技術はまだ開発されていない。どの技術もA/F≒30で安定燃焼するには高温高圧が得られる高容積比が必須であり、高圧縮比によるWOT(wide-open throttle=スロットル全開)のノック抑制技術が必要だ。
図9に示すようにCの副室燃焼を量産エンジンに適用する開発も行なわれており、スーパーリーンバーンを実用化するためのひとつの方法だ。ホンダでは熱効率47%が実現できるとしている。副室燃焼スーパーリーンバーンを実現してNOxの後処理が不要の高効率エンジンが量産エンジンで実用化されるのも遠くないだろう。