「ああいう人にだけはなってはいけない。」免許も持っていないのに自動車雑誌を買いあさっては、その走り、作り込み、センス、などいろんな要素に思いを巡らせていた幼少期。しかし、そういう情報を発信する側になることは、相当の警戒心をもって「禁断の世界」として見つめていたように思います。
「禁断の世界」に対する思い
両親もわりと堅い考え方の部類だとは思うので、そういう家庭環境の中で、好きなことばかりしているわけにもいかないだろうという建前で言っていた部分もあるだろうし、実際、身内でそういう仕事についていた人があるわけでもなかったので、望んだところでなれるとは思わなかった、という意味合いもあったと思います。そして、これがわりと大きいかもしれませんが、よくわからない世界だった、という部分がありました。本心の部分ではどこか憧れがあったのかもしれませんが、目指し方がわからない世界だったのです。
しかし、他にできることがあるわけでもなく、結局「クルマのことについて書く」くらいしか能のない自分自身の状況をあらためて振り返ると、「人生何があるかわからずめっけもん」などと思えるはずは到底なく、不安と迷いと困惑ばかりの毎日。日々の出会いや、出来事、車を通して勉強、クルマについて勉強。そんな毎日です。
でも、まあこれしかできることがないから、取り組んでいることとしては、私にとってかなり幸せことではあると思っていますし、ある種の使命感として「この現状に感謝しなければならない」境遇においていただいていると思っております。
素人からでもできる。でも誰にでもできる。ではないということ
自動車ライター/ジャーナリストというのは、ほかのライター/ジャーナリストと少し異質であると思っています。何か専門の勉強をしてきて、学位を収めてとかは別に必要ありません。その意味では、ものすごい素人でも、必要条件的にはできないことはない仕事と言えるのかもしれません。そして一言で自動車と言っても、得意分野、重点分野は多岐にわたります。
モータースポーツ、車両の評価でも市場性や商品性という切り口で論じる方もいますし、レーシングドライバー出身の方などでドライビングの側面からの評価をする方もいるでしょう。そしてオーディオ、ナビ、その他のパーツ。安全技術、環境性能などなど、トピックは実に様々です。