ボクが、自分にとって最初のスーパーカーである「ランボルギーニ・ガヤルドLP560-4」を購入したとき、驚いたことがある。
それは「ボクがガヤルドを購入した直後に、複数の知人が同じようにランボルギーニやフェラーリをたて続けに購入した」ことだ。
なぜ彼らは今までスーパーカーを購入しようとしなかったのか
ボクは、彼らとの付き合いを通じ、彼らが「スーパーカーを購入する資金」を充分以上に保有していることは知っていた。
だから、驚いたのは「購入したこと」そのものではなく、「購入した時期」だった。
なぜ「今」なのか?
驚いたボクは、知人たちにその理由を聞いてみた。
すると、彼らの答えはいずれも「ボク(筆者)がランボルギーニ・ガヤルドを買ったのを見て”自分もスーパーカーを買っても良いのだと感じた”」というものだった。
さらにその理由を掘り下げてみると、大きく分けると以下の2つに分類されることもわかってきた。
1.スーパーカーは自分が乗るには「行きすぎた」存在だと考えていた
2.スーパーカーを購入すると世間から非難されるのではないかと考えていた
スーパーカーは手の届かない存在だと考える人が多い
まずは一つ目の理由「スーパーカーは自分が乗るには「行きすぎた」存在だと考えていた」ということについて。
彼らは充分にお金を持っている。
現に、彼らは3300万円を超えるメルセデスAMG S65や、2000万円のメルセデスG63、2500万円のベントレー・コンチネンタル、3200万円のロールスロイス・ゴーストに乗っていた。
そして、それらのほかにもスポーツカーやミニバン、ワゴンといった「普段用」や「家族用」のクルマも、一台のみならず数台同時に保有している。
つまり彼らにとって「スーパーカーを購入する」ことは、金銭的側面から見ると(ちっとも)難しくはない、と考えられる。
同様に、保管場所についても問題はないはずだ。
では、なぜ彼らは今までスーパーカーを買わなかったのだろう?
その理由はこうだ。
「スーパーカーは、自分が買ってはいけない雲上の、神聖なる存在だと考えていた」。