初夏、南から繁殖に日本列島にやってくる渡り鳥のホトトギス。秋に、カモなどの冬鳥が徐々に渡ってくるようになると、ツバメやカッコーなどの夏鳥とともに南へと帰っていきます。日本人が古来愛するホトトギスを惜しむように、この時期に咲き始める美しい花があります。その名もずばりホトトギス。日本列島は、ホトトギスの仲間の特産地であり、原産地と考えられています。
日本原産・特産の名花ホトトギス。今花盛りです
ホトトギス属(Tricyrtis)は、ユリ目ユリ科に属する多年生の単子葉植物で、狭義のユリ(ユリ属)には属しませんが、広義のユリ(ユリ科)の仲間で、その花は花弁、花萼、雄蕊、雌蕊の柱頭、子房などの数が全て三もしくは三の倍数で構成されています。
ホトトギス属は全世界で20種ほどしかない小さな属で、しかも分布域は、日本、台湾、朝鮮半島のほか、中国やインドの一部の山間部やフィリピンなどアジアに限られ、このうち13種が日本列島に自然分布し、このうち11種が日本特産。このことから、ホトトギス属は日本列島で進化した真正の日本原産種であると考えられています。
ホトトギスの仲間は、ジョウロウホトトギス(上臈杜鵑草 Tricyrtis macrantha Maxim.)の仲間のように一見ホタルブクロにも似た釣鐘型に下向きに咲く一部の種を除き、多くは上向きに花開きます。
外花被片の基部が大きく膨らみ、ここに花蜜を貯めています。蕾のときには、ちょうどタコさんウインナーのような形状をしており、これが開くと、上向きに直立した雌蕊の花柱の先端が深く三裂して外側にやや垂れ下がりながら、さらに先端が二裂して散開します。この印象的な形状が、学名のTricyrtis(ギリシャ語の3を意味するtreis)となっています。
さらに六本の雄蕊も、雌蕊を囲うように直立しながら外側に散開して垂れ下がり、全体で噴きあがる噴水のようなかたちをなします。
ホトトギス(Tricyrtis hirta)は関東以西の太平洋側に分布するホトトギス属の代表種。草丈は80cmほどになりますが、主な生育地である平地や山地の林縁の半日陰では、葉の表側を上にして斜めに垂れ下がるような草姿となります。茎は根元で分岐し、葉は幅の広いのびやかな笹型できれいに互生し、それぞれの葉腋から、上向きに直径2.5cmほどの花を2~3輪ずつ、咲かせます。人の目線から見ますと、林側から林道に向けて、葉が傾きながらせり出し、その葉の付け根ごとにびっしりと花がついていて強い印象を受けます。噴水のようになった花柱と雄蕊は、蜜を取りに訪花する昆虫が花弁に乗って奥に潜り込むと、その背中に触れて花粉が付着する仕組みになっています。
三枚の外花被片、三枚の内花被片、そして雌蕊の三裂した先端部、雄蕊の花糸、つまり外から見える花全体に、白地に全体に細かな赤紫の斑がちりばめられ、この斑模様を、白い胸毛に黒褐色の波型模様の斑がはいる鳥類のホトトギスに見立てた、とされています。その根拠は貝原益軒の『大和本草』(1709年)なのですが、同書「ホトゝキス」の項には
毎萼ニ小紫點多シ 杜鵑ノ羽ノ文ニ似タリ シホリ染ノ如シ
とあり、益軒はホトトギスの花の模様を鳥のホトトギスの「羽の文」、つまり羽の模様に似ているとしています。両者を比べて見ますと、斑点模様であるホトトギス草と波型の縞模様であるホトトギス鳥、模様の色もちがいますし、そこまでそっくりとは言い得ず、ある種の想像力を必要とします。名から強引に益軒がそう解釈したのか仄聞なのか、あるいは何らかの根拠のある説なのかは定かではありませんが、「でもあんま似てないかもしれない」という益軒自身の不安を表すように、「絞り染めのようである」と補足しています。
しかし絞り染めにたとえられているように、実際ホトトギスの花色の趣は日本の工芸品のような渋さと繊細さをあわせもち、ホトトギス属のヤマホトトギス(Tricyrtis macropoda Miq.)などは、花弁がしんなりと垂れ下がり、ホトトギスよりも大きくまばらな斑がにじんだようにちらばる花姿は、さしずめ志野焼きの茶碗の名器を思わせ、日本人好みの渋い美意識好みの花で、現代華道においても珍重される花の一つとなっています。
日本人好みのホトトギス。なぜ文学では無視されてきた?
けれども、そうすると気になるのは、ホトトギスの不思議なほどの文学、美術からの無視のされぶりです。古い日本画でホトトギス草が描かれているのはほとんど見ませんし、文学においては上代、中世を通じても皆無、江戸時代に入って芭蕉が読み込んでいるのがほとんどそのはじまりと言ってよいほど、この風雅な花は無視されています。秋花にはほかにも風流な花が数多いからと言えばそうですが、平安時代の類書などにはホトトギス草そのものの記載がなく、また他の多くの草本・木本に正式和名以外のさまざまな異名、方言名があるのに、ホトトギス草にはほとんどそれが見当たらないのです。せいぜい、葉に黒ずんだ斑が入ることから「油点草」(鶏脚草という名もあるとの説明も見られますが、筆者の知る限りではホトトギスをその名で呼ぶ事例は見当たりません)という名が知られるくらいでしょうか。
昔の植物学、本草学は、植物を薬草もしくは食草という有用性から見ており、現代人と比べると花を観賞したり愛でたりという意識はずっと薄いものでした。ホトトギス草は薬草にも食用にも用いられなかったため、影が薄かったものと思われます。江戸時代になって園芸が盛んになると、花の美しさと趣が注目され、あるいはその頃に、「ホトトギスに似ているかもしれない」という見立てから名前が付けられたのではないでしょうか。
ホトトギスの花が咲く季節に考える。「ほととぎす」って何の事?
さてホトトギスという名はそもそもどんな意味があるのでしょうか。
ホトトギスの鳴き声はさまざまに聞きなされます。もっとも一般的な「テッペンカケタカ」、「ホンゾンカケタカ(本尊欠けたか)」「オットコイシ(夫恋し)」「オトットコロシ(弟殺し)」「オトットコイシ(弟恋し)」など。
「弟殺し」という不穏で尋常ならざる聞きなしは、全国でホトトギス伝説の言い伝えとなって物語が伝わります。さまざまなバリエーションがありますが、もっとも基本的な伝承は、貧しい兄弟の物語です。
兄は目が見えず、弟はその兄の身の回りの世話をし、山で山芋を取っては兄に美味しい部分を食べさせ、自分はそれ以外の部分を食べていたのだが、兄は弟が自分には不味い部分を食べさせ、密かに美味しい部分を食べているに違いないと疑い、逆恨みをつのらせて、ついには弟を包丁で刺して殺してしまいます。このとき、突然兄の目が開き、兄は弟のお腹の中には粗末なものしかないことを目の当たりにして、亡骸を抱いて泣きむせび、悔やむうちにいつしか「おととこいし(弟恋し)と喉の限りに鳴き通す一羽の鳥に変じてしまいました。これがホトトギスで、その赤い口中は、血が出るほど鳴きむせぶこの鳥の哀しみをあらわし、近代俳句・短歌の変革者として名高い正岡子規は、結核で血を吐く自分を自虐して、ホトトギスの名の一つである「子規」を名乗った、と伝わります。
この物語のバリエーションは、夫婦であったり、殺す側と殺される側が逆であったりとさまざまなのですが、柳田國男の『遠野物語』では、人間の姉妹がカッコウの姉とホトトギスの妹に変じた伝承として記載されています。
妹は姉の食ふ分は一層旨かるべしと想ひて、包丁にて其姉を殺せしに、忽(たちま)ちに鳥となり、ガンコ、ガンコと啼きて飛び去りぬ。ガンコは方言にて堅い所を云ふことなり。妹さてはよき所をのみおのれに呉(く)れしなりと思ひ、悔恨に堪へず、これもまた鳥になりて包丁かけたと嘆きたりと云ふ。(『遠野物語』五十三)
「ガンコ」はカッコウの鳴き声を、「包丁かけた」はホトトギスの鳴き声の聞きなしです。
ホトトギスの鳴き声は、抑揚・音程は豊かなものの、発声音そのものは「ホッ」もしくは「キョッ」と聞こえる音の連続です。ここに、人間の想像力が入り込むのです。
「ス」はカラスやウグイス、あるいはキリギリスなど、鳥や小動物の名につけられる接尾語ですから、「ほととぎ」の部分が鳴き声から形成された聞きなしと考えられます。そして上述した民話群は、このホトトギスという名がまずあって、作られた物語です。つまり、「ほととぎす」という聞きなしをもとにして「夫恋し」「弟殺し」「包丁かけた」といったバリエーションの聞きなしが生まれて物語が紡がれた、ということです。最古の歌集である万葉集で既に確固として確立されたホトトギスという名は、万葉集編纂以前(古代から上代)にとっくに出来上がっていたものと考えられるからです。
つまり「キョッキョ・キョキョキョ(ホッホ・ホホホ)」としか聞こえない鳥の鳴き声がなぜ「ほととぎ」になったのか、ということです。
「ホトトギス」が日本人に偏愛されてきた深層には、古い神話があった!
初夏の田植え(農事はじめ)にやって来て、収穫期を終えると去ってゆくホトトギスは、「しでの田長(たおさ)」という名でも知られるごとく、農耕、つまり人にとっての食料調達というもっとも重要なミッションと重ねられ、農事の始めと終わりを告げる「時鳥」として捉えられていました。もちろん、ツバメやカッコウなどの夏鳥は同じような渡りの性質を持つ渡り鳥なのですが、ホトトギスの場合、盛んに鳴くのが夜明け時や夕暮れ時などの昼と夜の間(あわい)、「かわたれ時(彼は誰時)」「たそがれ(誰そ彼時)」ともいわれるトワイライトゾーンであるため、季節と季節、または生と死、彼岸と此岸、というふたつの世界の間に位置する鳥としてのイメージ仮託がなされたと考えられます。
古代より人類は、大地もしくは土を女性として捉え、大地の神(地母神)は常に女神でした。この女神に石や金属をくり返し打ち込む農耕は、それゆえに性行為のメタファーと捉えられました。男神である天空から、雷、あるいは雨が矢のように女神である大地に降り注ぐ自然現象は、男神と女神、陽と陰が交わる季節を告げ、人に農耕を促すサインだと考えられました。
そうしますと、「ほととぎす」の名の意味も見えてきます。「ほと」とは、「火処」「火戸」であり、そしてそのまま古語で女性器を意味します。
「とぎ」は「刀を研ぐ」の「とぎ」と同じであり、「突く」「着く」あるいは「貫く」も同語源です。「突き」は「時」「月」の意味も含みます。なぜなら「時」=暦とは、無限の時間の流れの一点を「突いて」限定し、「刻限」を作り出すことだからです。そして、毎夜かたちを変える月は時と暦の指標となったからです。日本神話の月の神である月夜見尊(つくよみのみこと)が、『日本書紀』の神代上第五段・一書第十一では、葦原中國に先住するという保食神(うけもちのかみ)のもとに赴いたツクヨミの物語が描かれます。保食神は、お米も、海の魚も、山の獣肉も、すべて口から出してツクヨミに捧げたため、ツクヨミは狼狽して激高し、剣を振るい殺してしまいます。
「穢(けがらわ)しきかな。鄙(いや)しきかな。寧(いづく)ぞ口より吐(ただ)れる物を以て、敢へて我に養(あ)ふべけむ。」とのたまひて、廼(すなは)ち剣を抜きて撃ち殺しつ。(中略)保食神、實に已(すで)に死(みまか)れり。唯(ただ)し其の神の頂に、牛馬化爲(な)る
有り。顙(ひたひ)の上に粟生れり。眉の上に蚕生れり。眼の中に稗(ひえ)生れり。腹の中に稲生れり。陰(ほと)に麥(むぎ)及び大小豆(まめあずき)生れり。
明らかに太地母神である保食神が死ぬと、そこから牛馬や蚕、そして穀物の数々が生じた、という神話は、いわゆるハイヌウェレ型神話の典型なのですが、ここでもあらわれるのは大地の象徴である女神を剣で貫くという農耕のシンボルです。そしてそれを行うのは月(突き・時)の神なのです。そしてこの神話での理不尽な殺害譚が、民話での「弟殺し」のトーンとも通じることは明らかです。
田植えの時期(時)を告げるように現れて夜明けに鳴き、収穫の頃には帰っていくホトトギスという鳥が、ホト(地母神の体=大地)を突け=農耕をはじめよ、と告げているというイメージ仮託こそが「ほととぎす」の太古の語源であり、これが時代が下るにつれ、神話から民話へと俗化される中で「弟殺した」「包丁かけた」などの聞きなしへと変化していったということなのではないでしょうか。
民話の中では、ホトトギスの花の赤紫の斑点は、鳴いて弟に詫びるホトトギスと化した兄の喉から吐かれた血であるという伝承もあります。
深い神話を秘めたホトトギス草が日本の特産で、月の美しいこの季節に花開くことも、もしかしたら神の差配なのではないか、とも思えてこないでしょうか。
(参考・参照)
時鳥と鶯について -民俗・言語学的一考察- 日置孝次郎
遠野物語 柳田國男 新潮社
ホトトギスの兄弟- 山形県の昔話 | 民話の部屋
大和本草 巻7 - 国立国会図書館デジタルコレクション