早春をさきがけるのは空っぽの枝にポッと開く「梅の花」。冷たい風、凍りつくような寒さが続く日々の中に迎える立春の頃。ふと気がつくと梅が蕾をもち一輪、二輪と花をつけていて、春の灯火がともったような喜びを感じます。
古来「花」といえば「梅」を指したというくらい日本人に愛されてきました。今ではその席を桜に譲ってしまったようなところもありますが、寒さの中に咲き始めた梅は、移りゆく季節の厳しさの中でも次々花を開かせていきます。2月も終わりが近くなりました。そろそろ満開を迎えている花を愛でながら、日本人が見つめてきた「梅の花」を探ってみたいと思います。
万葉の人々の楽しみ方は素直でおおらか!
庭に咲く梅を楽しみながらお酒を酌みかわし歌を詠む「梅花の宴」が催された場所は太宰府。時は奈良時代の730年。貴族たちが楽しんだ酒宴に現代の私たちも想像力を広げて参加してみましょう。
「我が園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも」
大伴旅人
大伴旅人はこの宴の主宰者。梅の花の散るようすを「空から雪が流れてくるよう」だとしています。梅の花びらが散る中にも残る雪が見えてくるようです。
「万代に 年は来経(きふ)とも 梅の花 絶ゆることなく 咲きわたるべし」
筑前介佐氏子首
梅の咲く美しさは千年万年と年は過ぎても変わらずに咲き続けていけ、とは最高の賞賛ですね。
「春されば まづ咲くやどの 梅の花 独り見つつや 春日(はるひ)暮らさむ」
山上憶良
目の前に咲く宴の庭の梅ではなく、我が家に咲く梅を思い歌ったのは山上憶良です。筑前守として旅人と同じ地にあり、ともに歌人同士の二人は太宰府で歌作りに切磋琢磨したとのことです。
どの歌にも咲く梅をみる喜びにあふれています。万葉歌人たちが伝えたかったのは、はなやかに咲く梅の美しさとそれを見ながら皆で喜ぶ春の到来、ではないでしょうか。
これらの歌は『万葉集』巻5に「梅花の歌32首」として序文とともに収められています。序文には今の元号「令和」のもととなった、
「初春の[令]月にして、気淑(よ)く風[和](やわ)らぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」
が収められています。梅は鏡台の前の白粉のように花開くとその美しさをたたえ、蘭は腰につける匂い袋のようだと、香りの称賛は蘭にまかせています。万葉集では梅の香りについてはまだ触れられていなかったようです。
「梅の花」に平安の貴族たちが託したのは何?
万葉の人が願ったように「梅の花」は時代を越えて咲き続け、春を待つ思いとともに人々の心にその美しさは刻まれていきました。
平安時代の高貴な人々の心情を伝えているのが10世紀の初めに作られた『古今和歌集』です。小倉百人一首にも多くの歌が収められており、日本人の心の歌となって口ずさまれているものもたくさんあります。
「ひとはいさ こころもしらず ふるさとは 花ぞむかしの 香ににほいける」
紀貫之
梅の香りが昔と変わらず匂っているように、私の心も昔と同じ、変わっていないのですよ、と相手に対する思いを「梅の香」に託しています。
「春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やはかくるる」
凡河内躬恒
春の夜の闇の中、梅の花の姿は見えないけれども香ってくる梅の香りは闇夜といえど隠せません、と際立つ匂いを歌い甘美となった心を披露しています。
「梅が香を 袖にうつして とどめてば 春はすぐとも かたみならまし」
読み人知らず
こちらは梅の香りを袖に移して残しておこう、春が過ぎても想い出になるから。と梅の香りへの思い入れが素直に詠まれています。
『古今和歌集』の歌は万葉の人々とは大きく変わり、「梅の花」の咲くさまの美しさからただよう匂いがテーマになっていきました。視覚から嗅覚へと感性の焦点に変化が見られます。
平安時代は平仮名がつくられ、大和ことばで自由に表現ができるようになっていったとき。日本独自の王朝文化が栄えていく時代に、五感がそれぞれに磨かれていった表れではないかと思われます。
江戸の民衆が楽しんだ浮世画で探す「梅の花」!
上に挙げた浮世画のテーマはもちろん「梅の花」。2枚とも江戸の中期に活躍した浮世絵師、鈴木春信が手がけました。ひとつずつ見ていきましょう。
◇右側に描かれるのは「闇夜の梅」(出典:ボストン美術館パブリックドメイン)
真っ黒な背景が闇夜に浮かぶ梅の花を際立たせます。縁側から少し下がった渡り廊下に立つ女性は、手に灯りを持ち夜の梅を楽しもうとしているのでしょう。そこに登場するのは膝を廊下にかけ積極的に女性の袖を引く若い男性。身体は後ろを見せながらも手燭で顔を照らし、ふりむく女性の姿はしなやかな曲線となり美しさを引き立てています。
絵の上の雲の中には、絵にあてた歌があります。
「闇夜梅:月影は それとも見へず かすむ夜の 袖もさやかに 匂ふ梅が香」
月も見えない闇夜に乗じて男性は女性の袖を引っぱります。梅の香りが流れてきたものだから、とでもいうのでしょうか。この袖にはもしかしたら、手折った梅の枝がはいっているのかもしれません。女性の気を惹こうとする男心でしょうか。闇夜に匂う梅、男と女。見えない中で動く男女の艶っぽく秘密めいた心の文が描かれています。
◇左側に描かれるのは、梅の下でシャボン玉を吹く母子(出典:メトロポリタン美術館パブリックドメイン)
母親の吹くシャボン玉に飛び跳ねてよろこぶ子ども。後ろには「梅の花」が咲き早春の穏やかな母と子の姿は、なんとも微笑ましいですね。こちらにも歌が添えられています。
「いろ香にも 心染(そめ)しと思ふ身の 袖にあやなき 梅の下風」
歌を読むとどうやらこのお母さんにも、昔は「梅の香」に誘われた恋模様もあったようですね。そんなことはすっかり乗り越え今や母となった幸せを、豊かな春の日の中にみせてくれています。
どちらも花を描きながら立ち昇ってくるのは平安時代から詠まれてきた「梅の香」。平安貴族の雅びな文化は和歌を通して江戸の庶民へと広がっていったことがわかります。
近・現代人が感じる「梅の花」とは?
奈良時代から平安・江戸と「梅の花」を通して日本人の感性の変遷を見てみました。今を生きる私たちは「梅の花」を見てどのような表現をしているのでしょうか。近代、現代の短歌をさぐってみましょう。
「早春の銀の屏風に新しき歌書くさまの梅の花かな」
与謝野晶子
自分の思いをストレートに表現した歌で注目を浴びてきた晶子です。ここでは「梅の花」の姿も香も描かず、歌人の心の叫びを真っ直ぐぶつけてくる表現に、晶子の溢れるエネルギーを感じます。
「針の穴一つ通してきさらぎの梅咲くそらにぬけてゆかまし」
馬場あき子
糸を通そうと見つめていた小さな穴。やっと通った糸の先に広がる空への開放感が「梅の花」とともに春を迎えた喜びと重なります。
「てのひらに 載るほど遠景の 夫子(つまこ)らを 紅梅の木ごと 掬はむとせり」
河野裕子
家族でやって来たのに気づいたら子どもたちと夫はもう遠くに。スナップショットに納めるようなシーンを「掬う」と表現することば選びに、歌人らしさと家族への愛を感じます
近代・現代の歌を拾ってみると早春の風物としての「梅の花」は楽しむだけでなく、自分の生きる日々や生きざまに結びつけていることに気づきます。日常生活の悲喜こもごもすべてを受け入れ、前を向いて幸せを見つけようとする女性の逞しさが歌の力となっていると感じます。
奈良時代から現代まで1300年の時を経ても「梅の花」が早春に咲くことに変わりはありません。季節を重ねながらどのように楽しみ、自分たちの生活に引き寄せていくのか。それぞれの時代の人々で変わっていきました。あなたにとっての今年の「梅の花」を、思いきって「五七五七七」に残してみませんか。人生の道しるべの一つとなること請け合いです。
参考:
『ブリタニカ国際大百科事典』
『日本国語大辞典』小学館
『新編日本古典文学全集』小学館
『新選与謝野晶子歌集』講談社文芸文庫
『現代女流短歌全集1 歳月:河野裕子歌集』短歌新聞社
『現代女流短歌全集2 暁すばる:馬場あき子歌集』短歌新聞社
<ボストン美術館>
<メトロポリタン美術館>