11月23日は勤労感謝の日で祝日です。そもそもは秋の収穫を神様に感謝し、翌年もよろしくお願いしますと祈願するための「新嘗祭(にいなめさい)」という祭日でしたが、戦後に日本国憲法が制定されたときに、勤労感謝の日となったという歴史があります。
そこで今日は「勤労」をテーマに、「なぜ働くのか」という正解のない問題に対するひとつの考え方をご紹介します。会社に行くのが少し憂鬱だと感じている人は、ぜひ参考にしてください。
勤労感謝の日はお互いに感謝し合う1日
国民の祝日に関する法律によると、勤労感謝の日は「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ための日とされています。制定されたのが戦後すぐの1948年(昭和23年)ですので、言葉づかいが難しく、意味が分かりづらいため、現代語に訳してみましょう。
岩波国語辞典によると、勤労の意味は「賃金をもらって、一定の時間内、ある仕事をすること」となっています。「たつとび(たつとぶ)」は尊ぶの意味になるため、それらを合わせると「労働を尊重し、その成果を祝い、国民みんなでお互いに感謝しあう1日」となります。
勤労は日本国民の三大義務のひとつで、日本国憲法第二十七条一項によると「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」とあります。学生時代は何気なく覚えていましたが、勤労の権利と義務、そして勤労感謝の日を合わせると、働くことの意味が見えてきます。
勤労が法律に組み込まれたということは、当時は「働かないことはよくないことだ」という考え方があったと考えられます。ただ労働は強制的なものではなく、尊いものなのだという考え方を国民全体で共通認識するために、勤労感謝の日があったわけです。
日本は高度経済成長によって経済大国になりましたが、そのときは国民全体ががむしゃらに働いていました。そのベースとなったのが勤労感謝の思想だったとも言えます。
【参考】
岩波国語辞典 第八版
生活を支えるために働き、毎日を楽しむために働く
学生時代を経て社会人になった瞬間に、私たちは自分で稼いで自分の生活を支えていくことになります。そのときに「何のために働くのか」というテーマにぶつかり、悩んだ人も多いかと思います。これは私たちの永遠のテーマであり、おそらく正解のない問題のひとつです。
答えを探すことを諦めて「生きていくために稼ぐ必要があり、稼ぐために働く」と割り切った考え方をするようになった人も多いと思います。面白いことに「日本国民の義務だから働く」と考える人はほとんどいません。法律でそう定められているのにもかかわらず。
きっと私たちは勤労を義務だと思いたくない気持ちがあるのでしょう。義務だと思うと気持ちが重たくなりますし、なぜ働かなくてはいけないのだと反発したくもなります。では、義務でないとしたらなぜ働くのでしょう。
それは勤労という行為そのものに喜びを感じているからなのかもしれません。誰かの役に立っている。仕事仲間と一緒に過ごす時間が楽しい。喜びの種類は人によって違いますが、仕事で得られる喜びが仕事へのモチベーションに繋がり、私たちを楽しい気持ちにさせてくれます。
周りの人の勤労を尊重すれば仕事はもっと楽しくなる
勤労は喜びであり楽しいことのはずなのに、いざ仕事に行くとなるとちょっと憂鬱な気分になることがありますよね。みんな楽しく働けばいいのに、意見がぶつかったり、上司やクライアントから無理難題を押し付けられて、仕事が楽しく思えなくなったりした経験もありますよね。
思い通りにならなくなると、「この仕事は面白くない」とネガティブな感情になりがちですが、そういうとき勤労感謝の精神を思い出してみましょう。自分の欲求を押し通すのではなく、仕事仲間の欲求を尊重し、半歩下がってその人の勤労をサポートしてみましょう。そうすると見える景色が変わってきます。
さらに進んで「あの人は何のために働いているのだろう」と考えてみてください。もちろん正解は見つかりませんが、少しだけ相手の立場になって考えられるようになります。すると不思議なことに、あまり得意でなかった人に対しても興味が湧き、苦手意識がなくなります。
勤労感謝の気持ちを持って働くのは、相手のためではなく自分のためです。情けは人の為ならずと言いますが、勤労感謝もまた人の為ではなく自分が楽しく働くためのもの。勤労感謝の日はそれを思い出すための1日にしてみてはいかがでしょう。