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紅葉を隠す秋の霧~平安和歌に見られる霧~


この秋も、瞬く間に深まってしまいましたが、その名残を惜しみ、今回は秋の空を薄く、あるいは濃く包む霧に注目します。今回は、奈良時代から平安時代にかけて、和歌の世界で霧がどのように詠まれていたのかを紹介します。霧は昭和歌謡の中で、「霧の摩周湖」や「夜霧よ今夜も有難う」、そして「霧にむせぶ夜」など、まだ他にもありそうですが、ことのほか好まれています。時代を越えて人々を惹きつけるものは何か探りたいと思います。


万葉集の霧

万葉集の霧は、「春の野に霧立ちわたり……」とあったり、「朝霧の八重山越えて時鳥……」などと夏鳥の時鳥とともに詠まれることもあり、季節に限定されず数多くの和歌で様々に詠まれています。その中には、

〈天の川霧立ちわたる今日今日と 我が待つ君し船出すらしも〉

のように七夕歌も目立ちます。この歌は、七月七日に天の川が一面霧で覆われた中を、彦星が船出して渡って来るらしいと、織り姫の気持ちで詠んでいます。ほかに、万葉集独特と思われる歌もあります。

〈我がゆゑに妹(いも)嘆くらし 風速の浦の沖へに霧たなびけり〉

これは、巻十五の前半に位置する、天平八年(736)新羅に遣わされた人たちが妻と交わした歌群の中の一首で、風速の浦(広島県豊田郡安芸津町西部辺)に船が停泊した時の歌とされます。

遠く新羅に遣わされる私のために妻が悲しんでいるようだ、風速の浦の沖の辺りに霧がたなびいているよ、と詠んでいますが、続けて詠んだ一首では、「我妹子(わぎもこ)が嘆きの霧」とも詠まれています。ここで霧は、別れた妻の悲しみの息吹だとされています。人と自然の一体的なところが万葉集らしく感ぜられます。


平安和歌の霧

平安時代になると、まず霧が秋のものと限定されるようになります。古今集の次の歌が典型です。

〈春霞かすみていにし雁がねは 今ぞ鳴くなる秋霧の上に〉

和歌は、渡り鳥の冬鳥である雁が、春には霞に包まれて北方に移り、秋には北方から日本に戻って霧のかかる中で鳴いていることを詠んでいます。この歌では、春は霞、秋は霧(※1)ということがはっきりと区別されています。この霞と霧の実体は、霞が遠くをぼやけさせる程度で棚引くとされ、霧は間近で濃く立ちこめるという差があるとも言われます。この和歌の下の句では、まさに霧は視界を狭めて見るものを隠し(※2)、そのため聴覚が注目される(※3)ことが知られます。実際、霧を詠む歌の多くは、人や鳥など動物の声の他に、船の棹を漕ぐ音や鐘・駒の足音なども詠まれます。

秋を代表する鮮やかに色付いた紅葉も、

〈誰がための錦なればか秋霧の 佐保の山辺を立ち隠すらむ〉

と、山に立った霧の中で隠されて、誰のための紅葉の錦なのかと問われますが、

〈千鳥鳴く佐保の河霧立ちぬらし 山の木の葉も色まさりゆく〉

のようにも詠まれます。河霧が一帯を覆い、その中で千鳥が鳴いていて、霧は木の葉の色を染める(※4)とも考えられています。

霧がかかった状態が心の様子の比喩(※5)として詠まれることもあります。

古今集の恋の歌ですが、

〈秋霧の晴るる時なき心には 立ち居の空も思ほえなくに〉

秋霧が晴れないように、晴れる時がない恋する私の心には、立ったり座ったりまでも、上の空で考えられないことだ、との意です。

これに近いものとして、新古今集にある、

〈嘆くらむ心を空に見てしかな 立つ朝霧に身をや成さまし〉

は、妻の愛情が薄いと嘆いた夫の心が空にあると見て、妻が霧になって慰めたいという内容ですが、霧に夫への愛情を込めるといった形で、この歌も霧が人の心を表しています。

霧は、雁・千鳥・紅葉だけでなく、鹿・女郎花、また山や月まで、様々なものを覆い隠すと詠まれています。そこに単に霧に隠されて見えないという情景描写にとどまらないものもあります。後拾遺集の歌ですが、

〈小倉山立ちども見えぬ夕霧に つま惑はせる鹿ぞ鳴くなる〉

小倉山では、立っている所も見えない夕霧のために、妻を見失った牡鹿が鳴いていると詠まれています。霧が雌雄一対の鹿を隔てるものとなり(※6)、悲しみを誘うものとなっています。

以上、平安時代中心で、霧を詠む歌の様々な面を※1~6で印を付けながら紹介しました。


霧が主役の和歌

さて、これまで見てきた和歌は、情景の中に霧があることによって、そこにある何かしらに影響し、その影響を受けた様子を中心に詠まれていました。

ここではそうではなく、霧そのものが和歌の中心になっていると思われる作品について見て行きたいと思います。それらを一言で言えば、霧が縹渺感を演出して、情景に奥行きある美しさを感じさせます。

〈ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島がくれ行く舟をしぞ思ふ〉

〈あさぼらけ宇治の河霧絶え絶えに 現はれ渡る瀬々の網代木〉

〈薄霧の籬(まがき)の花の朝じめり 秋は夕べと誰か言ひけむ〉

〈村雨の露もまだ干ぬ槙の葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮〉

一首目は、古今集にありますが、一説として万葉集を代表する柿本人麿作ともされています。季節は不明瞭ですが、夜が終えて徐々に明るんでいく朝の明石の浦に朝霧が立ち込めていて、その霧の中を一艘の船が島々を縫うように遠ざかっていくという情景を詠んでいます。

船に注目が集まるのは当然ですが、霧の中で見え隠れしつつ遠ざかり次第に小さくなる、その船を包む霧の薄いベールの広がりこそが穏やかな瀬戸内の朝を味わい深くしているのだと思います。

二首目は千載集にあるもので、初冬ごろ、早朝の宇治川に霧がかかって何も見えなかったのが、周囲が明るむに従って霧が薄らぎ、川の瀬ごとに施した網代木が、霧の中から少しずつ見えるようになる情景が詠まれています。

三首目は、四首目とともに新古今集にありますが、一首の後半で枕草子以来の秋は夕べこそ素晴らしいとする美観に異を唱えていて、前半が作者の推奨する情景です。それは、薄い朝の霧の中で、竹や細い木を編んだ垣(籬)に絡んで咲いた花がしっとり露を帯びて濡れている秋の朝だとの主張です。

四首目は、晩秋から初冬に短時間激しく降る雨(村雨)があがって、まだ雨露が乾かない林の木々の葉を、いつの間にか霧が一面に囲むように立ち広がっている秋の夕暮れよ、というものです。

以上の四首には、船、網代木、花、槙の葉が視点の中心にありますが、それぞれを一首の世界として見た時、これら以上にその周りの霧こそが、それぞれの歌での情感を支配する主役と評すべきではないでしょうか。

中世に重んじられた優れた和歌への価値基準とも言える評語に“幽玄”という語があります。平易に説明すれば、かすかで奥深いとの意です。鴨長明の無名抄では、この幽玄について縷々説明していて、「霧の絶え間より秋の山をながむれば、見ゆるところはほのかなれど、奥床しく、いかばかり紅葉わたりて面白からむと、……」と記しています。

また、もう少し後の時代の正徹という歌人は、「幽玄といふ物は、心に有りて詞に言はれぬ物なり。月に薄雲の覆ひたるや、山の紅葉に秋の霧のかかれる風情を、幽玄の姿とするなり」(正徹物語)と述べています。二人がともに霧のかかる情景を幽玄の例に挙げていることの含蓄は深く、上の四例もこの好例だろうと思います。

日々の日常でわざわざ霧を求めるということはないですが、ある朝、またはある夕暮れに、深い霧に包まれて、ちょっとした異空間に紛れたような感覚を味わった経験はないでしょうか。そうした時には周囲が格別新鮮に感じられるように思います。



参照文献

歌ことば歌枕大辞典  久保田淳・馬場あき子 編 (角川書店)

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