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「彷徨える遺伝子」ことウイルスが示唆する人類の未来とは…5月14日 「種痘記念日」


5月14日は、1796年のこの日、イギリスの医学者エドワード・ジェンナー(Edward Jenner 1749~1823年)が、牛痘ウイルスを含む成分を人体に接種(種痘)、天然痘(痘瘡  smallpox)疾患に対し免疫治療の第一歩を記した日として知られ、人類を長きにわたり悩ませてきたウイルス疾患・天然痘の制圧に先鞭をつけたジェンナーの偉大な功績から「種痘記念日」とされています。ジェンナーは近代免疫学の父として、その業績をたたえられています。

近代免疫学の父、エドワード・ジェンナーの故郷バークリーに建つE・ジェンナー記念館

近代免疫学の父、エドワード・ジェンナーの故郷バークリーに建つE・ジェンナー記念館


人類史に刻まれる大発見「ワクチン」はイギリスの片田舎の農村で生み出された

エドワード・ジェンナーは、イギリスの南西部、現在のグロスタシャー州バークリー(Berkeley)村で、牧師の三男として生まれました。

14歳から七年間、開業外科医の下で外科医師の修養を積み、21歳からはロンドンで医院のインターンに。そして「実験医学の父」「近代外科学の開祖」とも称される一方、マッドサイエンティストとしても名をはせた外科医で解剖学者・博物学者のジョン・ハンター(John Hunter)の弟子となり、外科手術や解剖学などの医学から、生物学、博物学まで師事を受けます。

この経験から、後にジェンナーは、現代では当たり前に誰もが知っている渡り鳥の渡りの生態(それまでは、夏鳥や冬鳥がその地域から姿を消すと、冬眠や夏眠をすると考えられていました)や、カッコウの託卵の習性を解明するなど、生物学・鳥類学に大きな功績を残しています。

キャプテン・クックことジェームズ・クック(James Cook)の航海から持ち返られたおびただしい博物標本を整理したのもジェンナーでした。24歳で故郷バークリーに戻り診療所を開業すると、関心を抱き続けた天然痘の治療法についての本格的な研究に着手します。

この当時、ヨーロッパでたびたび流行しては多くの死者や深刻な後遺症の残る重篤患者を出していた天然痘。恐れられる一方、一度天然痘に罹患して回復した者は二度と発症しないという法則があることも知られていました。

そこで中東やトルコでは、天然痘患者の水泡の膿みを未感染者の傷口に塗布し、人為的に感染させて免疫を作るという予防法「天然痘接種法」が行われており、この方法はヨーロッパにも紹介され、多くの子供たちにも実施されました。

しかし接種された人の2%は重い症状が出て死んでしまうというリスクの高いものでした。

ジェンナーは、若き修行時代、酪農の盛んなバークリーの農村で、飼育牛が罹る感染症「牛痘」(牛痘とは言っても、牛も第一宿主ではなく野良猫やネズミから感染していたと推測されています)を牛からうつされて発症した人は人間の天然痘にかからない、という民間で語られる噂に着目しました。

牛痘ウイルスは人間が罹患しても軽症で終わるため、まずは牛痘罹患者に対して弱毒性の天然痘ウイルス(Variola virus)を接種し、発症しないことを確かめ、ついで牛痘に罹患した牛飼いの女性サラ・ネルメス(Sarah Nelmes)から採取したのう胞を、当時ジェンナー家に奉公していた8歳の少年ジェームズ・フィップス(James Phipps)に接種しました。

二週間後の1796年5月14日、ジェームズに今度は天然痘ウイルスを接種。するとジェームズは天然痘の症状を発症せず、牛痘罹患によって天然痘免疫が体内に形成されることを証明しました。

ジェンナーは二年間の臨床実験を行ってデータを積み上げ、1798年、「牛痘の原因と効果の調査(An inquiry into the causes and effects of the variolae vaccinae)」という論文にまとめて、天然痘の画期的予防法として発表したのです。

「牛痘ウイルスを接種すると牛になる」「効果がない」など、当初牛痘ウイルス免疫療法は多くの誤解や反発にさらされますが、ジェンナーが先取権を主張せず、積極的に牛痘接種法のキャンペーンを行ったことで次第にその優れた予防効果とリスクの低さが認められ、ヨーロッパで採用、日本にも江戸時代末期に「痘苗」の名で伝来します。

現代のようなウイルス成分の精製と凍結保存などできない時代ですから、生体(子供が用いられました)に痘苗を植えつけて、各所で子供から子供へと痘苗を感染リレーさせながら長崎から江戸に急ぎ運ぶという方法で届けられた、といわれます。

牛痘接種法は画期的なブレイクスルーだった分、反発や誤解も

牛痘接種法は画期的なブレイクスルーだった分、反発や誤解も


そして天然痘は「封印」された

フランスの化学者・細菌学者のルイ・パスツール(Louis Pasteur 1822~1895年)は、ジェンナーの牛痘ワクチンを更に弱毒化させます。牛痘と似通ったポックスウイルスの一種・馬痘ウイルス(horsepox virus)由来と考えられる痘苗が接種に用いられ、各医療施設でこの痘苗が世代保存されるようになります。パスツールはジェンナーが最初に牛痘成分を雌牛から採種したことに敬意を表し、ラテン語で雌牛を意味するvaccaを元に、「vaccine(ワクチン)」の名称を考案しました。

現在では、ポリオ、風疹、麻疹(はしか)、BCG(牛型結核菌)、インフルエンザ、黄熱など、多くのウイルス感染症への弱毒化ウイルスワクチン(生ワクチン)や抗原ワクチン(不活性ワクチン)が開発されています。

「元祖ワクチン」と言ってもいい天然痘ワクチンの痘苗はワクチニアウイルス(Vaccinia virus)と呼ばれ、ワクチニアウイルスから作られたワクチンは「ワクチニアウイルスワクチン」というややこしいことになっています。

20世紀に入り、世界保健機関(World Health Organization=WHO)は世界からの天然痘根絶を開始し、1980年をもって痘瘡ウイルスの「根絶宣言」がWHOにより宣言されました。

それは人類史上、はじめての、そして今でも唯一のウイルス根絶となりますが、これは撲滅ではなく「制圧」もしくは「封印」と呼ぶべきもので、世界中に拡散していた痘瘡ウイルスを完全隔離し、拡散できないように封じた、ということになります。

疱瘡ウイルスの全塩基配列は決定されたとされ、今現在でも世界で2箇所(アメリカ疾病予防管理センター=CDC、ロシアの研究所)の実験室にウイルス本体は保存されています。

ウイルス防疫医療の礎を築いたジェンナー

ウイルス防疫医療の礎を築いたジェンナー


宿主を失った未知のウイルスの波は都市を襲う?

それにしてもなぜ、ウイルスの多くは宿主として人間と動物どちらにも感染(これを人獣共通感染症といいます)するのでしょうか。

現在世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルス(2019-nCoV、SARS-CoV-2)も、拡散した経緯は不明ですが、元の宿主はセンザンコウとも、既存のSARSコロナウイルス類の宿主であるキクガシラコウモリともいわれています。

鳥インフルエンザにしても、鳥類間でしか感染しないとされてきたウイルスが、変異を起して人間にも感染(宿主の拡大)するようになりました。

地球上の生物界は、「真核生物」(動物、植物、真菌)、「原核生物」(細菌)、「アーキアarchaea」(古細菌)の三ドメイン(超界)に分類されますが、ウイルスはそのどれにも属していません。

ウイルスとは、細胞も細胞膜も持たず、したがって代謝という生命活動を自律で行わない(行えない)感染粒子であり、生命体ですらない、とも考えられるのです。ウイルスが持つのは、DNAもしくはRNAの核酸と、それを包むたんぱく質の殻=カプシド(capsid)のみで、このため「彷徨える遺伝子」とも喩えられます。

人間を含む細胞生物が古細菌の一部を除き全てRNAとDNAを有するのに対し、ウイルスはごく一部を除いてRNAかDNAのどちらか一つしか持っていません。天然痘ウイルス(ポックスウイルス)はDNAウイルス、対してSARSやMARS、新型コロナウイルス(2019-nCoV、SARS-CoV-2)などのコロナウイルスはRNAウイルスに分類されます。

不可思議なウイルスという存在の起源について、(1)微生物、細菌が細胞を退化させたもの、(2)DNA生物が地球に出現する前の、太古のRNA生物時代の生き残り、(3)細胞生物の遺伝要素(核酸)の一部がちぎれて粒子化したもの、という三つの仮説が提示されています。

現代では(3)の説がもっとも有力とされていますが、だとするとウイルスとは、無数に種がわかれ、個体同士が分離して、それぞれが別の生命体としてふるまっている地球上の生物と生物をつなぎ、結び付けている鎖、または巨大なクラウド(雲)であるとも考えることが可能です。

大流行した疱瘡の災禍から国を救う発願で建立されたといわれる東大寺盧舎那仏

大流行した疱瘡の災禍から国を救う発願で建立されたといわれる東大寺盧舎那仏

この「彷徨う遺伝子」は、随意に生物に取り付き、侵入し、その生物の本質から変容してしまいます。RNAウイルスの一種・レトロウイルスは、宿主に侵入後、自身のRNAを宿主のゲノム(染色体DNA)に組み込み、宿主のDNAの一部に自身を「転写」してしまうのです。

脊椎動物のDNAを分析すると、配列の中に多くのウイルス感染の痕跡が残ることが解明されてきました。生物は何億年にもわたる進化の過程の中で数限りなくウイルスに感染し、それによってゲノムを変異させてきたのです。哺乳類の胎盤機能の進化にも、ウイルス感染が大きく寄与していることがわかっています。脊椎動物が進化し、私たち人間が「人類」として進化したことにも、ウイルスは大きく関わっていたのです。そして、この仕組みは、現在進行形でもあるのです。

今、地球上では毎日100種の生物が絶滅しており、人類による生物の絶滅スピードは自然原因の1000倍のスピードで加速しているともいわれています。そうなってくると大きな懸念に突き当たります。

人間社会と今までは距離を保って生存してきたさまざまな自然生物たち。彼らの生存が地球から駆逐されてゆくと、それらの生物を宿主としていたウイルスは行き場を失い、新たな宿主を求めることになります。

今まで人と関わらなかったウイルスの攻撃(侵入行動)は、生物の絶滅・減少に同期して人間に集中することになるでしょう。次々に新しいウイルスがもたらされ、パンデミックが日常化するかもしれません。都市の気密空間、密集空間はウイルスにとっての好適環境となります。人間と他の生物の共存(地球環境の分かち合い)、自然との共存社会を守ることができなければ、地球生物界の原初から存在するメカニズムにより、人類は破滅に向かうかもしれません。

新型コロナウイルス(2019-nCoV、SARS-CoV-2)の災禍が世界を震撼させた今年。ウイルスとは何か、その不可思議な存在について話し合うことは、人類の未来、文明のあり方について再考する機会になるのではないでしょうか。

・参考・参照

ウイルス・プラネット カール・ジンマー 飛鳥新社

新しいウイルス入門 単なる病原体でなく生物進化の立役者? 武村政春 講談社

・写真提供元 クレジット

D Wells / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)

https://wellcomeimages.org/indexplus/obf_images/25

Nick from Bristol, UK / CC BY (https://creativecommons.org/licenses/by/2.0)

Nick from Bristol, UK - Jenner's House, BerkeleyUploaded by Snowman

 命を危機に陥れるウイルスは、一方で私たちを作り上げているかもしれないのです

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