『暦便覧』によると「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草と知れるなり」とあります。「清浄明潔」この四文字に4月の初め、今の季節そのものを感じませんか。芽生えたときはわからなかった草の名も、ああ、この草ねっとわかるくらいに成長してきます。すべての命が輝く時、やっぱり入学式は4月の今がいい! とこの季節に新入学の時期があることに納得してしまいます。桜の花とともに、希望と不安を持ちながら臨んだ式典の思い出を、きっとどなたもお持ちでしょう。なにがあっても廻りくる春を心から喜び、楽しみませんか?
春といえばやっぱり「桜」思いっきり桜を楽しむって、どうすること?
いつ咲くかしら、もう咲くかしら、どのくらい咲いたかな、とみんなの期待を集める桜の花は、咲き出せば一気に満開をむかえ、明るさと華やかさに酔いしれていると、ほんのささやかな風に舞い落ちてしまいます。ふんわりとうすいピンク色に染まる里山や街並はまさに「爛漫」の言葉が似合います。
さて、花より団子、見るよりも味わいたい桜といえば「桜もち」ですね。江戸の昔から親しまれています。隅田川沿いにある長明寺の桜もちは、今も江戸の味を伝えて人気はおとろえません。うっすら塩味の残る桜の葉に包まれ、花の風情を味覚と香りで楽しみます。
桜の香りといえば、ほのぼのと匂い立つ華やぎが感じられるのが「桜湯」です。塩漬けにした桜の花に、お湯をそそいだもの。結婚式の待合にはかかせません。茶碗のなかで開く花のようすはおめでたい席にぴったりです。
「さくら湯の花のゆつくりひらきけり」 関戸靖子
「もてなしの白磁にひらく桜漬」 浅田三千枝
花を愛でるだけでなく、香りをうつして花も葉も楽しんできた桜ですが、実は樹皮もしっかりと活用されていることはあまり知られていないかもしれません。桜の樹皮を乾燥させたものは「桜皮」という生薬で、江戸時代にはかなり普及していたそうで、解毒薬として食中毒、湿疹や蕁麻疹に効果があるとのことです。
「あす来たらぶてと桜の皮をなめ」
これは江戸時代の川柳です。食中毒をおこして桜の皮をなめているのですが、この食中毒とは、古い初鰹を食べてしまったといういかにも江戸っ子らしいもの。「初鰹は女房を質に入れても食え」といいますが、高価な初鰹もちょっと待てば安くなるのです。ただし青魚の足は速く当たるとこわい。そんな初鰹を食べて腹痛をおこしてしまった江戸っ子が舐めたのが桜の皮というわけです。「サクラニン」という成分が殺菌作用をもつとのこと。
春を謳歌するとき、桜の木はなくてはならない大切なもの。美しさの中に秘めた力も引き出して、丸ごと桜を役立てていた昔の人の知恵におおいに学ぶことができました。
参考:「民族薬学データベース」
つややかな緑が輝く「月桂樹」勝利者に授ける月桂冠としての「清浄明潔」
古代ギリシアで凱旋する将軍や競技の勝利者への祝福として授けられた冠は、月桂樹の葉や枝で作ったもの。つややかな緑が勝者をいっそう輝かせます。
日本にもたらされたのは明治になってからですが、オリンピック競技大会で月桂樹の高貴さは知られるようになりました。春の青空と桜のあでやかさのなかで、常緑樹である月桂樹の緑はまさに「清浄明潔」を感じます。
私たちの日常生活のなかにも月桂樹はすっかり入り込んでいるのをお気づきですか。葉を乾燥させてローレルの葉、またはベイリーフといったスパイスとして肉や魚の煮込み料理に使われています。臭みをとり、味付けにもなっているのですね。枝から取った葉をちぎると立ちのぼる芳香はさわやかです。この香りは、葉を細かく刻んで袋に詰めたものを浴槽にいれれば、入浴時に楽しむこともできるということです。端午の菖蒲湯や冬至に楽しむ柚子湯と同じですね。爽やかな緑の香りをお風呂で感じるのも素敵な春ではありませんか。
参考:鈴木昶著『身近な「くすり」歳時記』東京書籍
爽やかな香り、でもピリッとした辛さが魅力なのが「山葵」です
桜に月桂樹、ともに大きな木になりますが「山葵」は清らかな水の中でしか育たない清浄な植物です。刺身には欠かせない山葵ですが、ちゃんと理由があるのです。一般的に香辛料には、食欲増進とともに防腐と殺菌の働きがあるといわれます。生の魚には必ず山葵を一緒に食べるのは、臭みを消すだけでなく殺菌効果を利用しているのです。私たちはふだん山葵を香辛料とはいわずに「薬味」といいます。素晴らしいネーミングだと先人の知恵に納得させられます。
「沢水は春も澄みつつ山葵生ふ」 松本たかし
「薬味」といえば蕎麦にそえる大根おろしやネギ、そして七味唐辛子があります。薬が発達していなかった時代は、食べるもので身体を調節していたことがわかります。今でも風邪の予防にとネギをたべたり、唐辛子で汗を出したりとその知恵は自然に受け継がれているのは嬉しいことです。
世界中に広がっているウイルス。私たちはうつらず、うつさずを心において何とか乗り越えて行かなくてはなりません。身近に伝えられてきた先人の知恵を振りかえる大切な機会、と考えるのはいかがでしょう。確かにやってきてくれた今年の春を大切に、静かに楽しみませんか。