山へ海へとお出かけの機会の多い夏休みシーズンたけなわですね。首都圏の夏の観光地、房総半島。中でも綺麗な水質と美しい景観を誇り、海水浴、サーフィン、ダイビング、磯釣り、海産グルメと、さまざまな海のレジャーが楽しめる外房地域の御宿、勝浦、鴨川周辺も観光客でにぎわっているようです。そんな南国の空気も漂うのどかな海辺のこの一帯に、夜な夜な人とも犬とも鳥とも、またサルとも海獣ともつかない奇妙な吠え声を、訪れる人たちが耳にしているようです。有名な心霊スポットもあるこの一帯。一体何がいるのでしょうか。
四つ目の怪物のしわがれた吠え声が闇に木霊する…?
海岸沿いというのは、いわゆる「心霊スポット」の元ネタとなるような出来事、エピソードが形成されがちです。九十九里浜南端の大東崎から大原、御宿、勝浦、鴨川沿岸もその例にもれません。全国的にも有名らしい「おせんころがし」や「金山ダム」などの恐怖スポットが知られます。つげ義春の全盛期のおどろおどろしい作品群もこの付近を舞台にした作品が多く(「ねじ式」「海辺の叙景」「紅い花」など)、そんな海岸沿いを夜そぞろ歩いていて、不気味な吠え声を聞いたらゾッとしますよね。「うぉーーー」と聞こえる、しわがれて脅すような、鳥にしては重量感のある声です。かといって、鹿やサルやキツネなどの在来獣の声とも違う。もしかして心霊現象?と思う人もいるようです。
その正体は、房総半島南部一帯で大繁殖している外来生物「キョン」の吠え声なのです。
キョン(羌 Muntiacus reevesi)はウシ目シカ科キョン属に属する草食哺乳類。台湾キョンとも「ヨツメジカ」とも言われ、自然では中国南東部と台湾に分布する小型のシカです。体長約100cm、尾長約15cm、体高40~80cm、体重15~18kg。体色は茶褐色の、いわゆるシカ科の被毛色。オスには二枝の小さなツノがあり、前頭部の毛は長く、角座の基部を隠します。キョン属のツノと角座はほぼ同じ長さで、ツノの基部からごく短い側枝が出ており、角座は畝状に眉の部分まで伸びています。また両目の涙腺の延長上の眼下にはよく目立つ眼下腺があり、これがちょうどもう一組の目のように見えるため「四つ目鹿」の異名があります。同じキョン属のインドキョンが別名「ホエジカ」と呼ばれるように、小さな体とかわいい顔に似合わず、野太い吠えるような声でよく鳴きます。ずっと体の大きいニホンジカの細く澄んだ笛のような声とはまったく異なります。
群れを作らず、単独もしくはつがいで行動します。メスが一度に生む子供の数は基本一頭ですが、繁殖は一年中、春から秋にかけての出産が多いようです。食欲は旺盛で、落葉木や常緑樹の葉を主に食し、秋にはシイ・カシ類の堅果、いわゆるドングリも好んで食べます。葉の間に鋭い棘があってニホンジカが食べないアリドオシやジュズネノキももりもり食べてしまいます。房総半島には暖地に自生するキョンの大好物カクレミノも多く、一年中食べ物には困らないようです。
現在、2017~2018年度の推定で房総半島には5万頭以上の野生キョンが生息しているといわれ、鳴き声を聞いたり姿を見たり、あるいは近隣の農家が農作物被害にあうなどの事態が相次いでいます。房総半島のキョンは2000年ごろから目立つようになり、その頃は生息数は1000頭ほどと推定されていましたが、15年ほどの間に50倍に増えたことになります。もともと日本にいなかったキョンがなぜ房総半島にいるのでしょうか。勝浦市浜行川で営業していたテーマパーク「行川(なめがわ)アイランド」で飼育されていた個体が脱走して次第に野生化していった、といわれています。行川アイランド?もしかしたら関東地方以外の人や若い世代にはその名すら知らない人がいるかもしれません。
今はなき行川アイランドの秘められた歴史
日本国内には、大人気のメガ遊園地を筆頭として、多種多様なテーマパーク、レジャースポットが存在します。中には、一時期は抜群の人気と知名度を誇っていたのに、需要や社会状況の変化という時代の波に乗り切れず、消えていった有名施設も数多いものです。
高度成長期、ベビーブームの真っ只中の1960年代に、南房総国定公園の各地に、ホテル三日月(1961年開業)、マザー牧場(1962年開園)といった現在でも続く施設が開業した時代、勝浦市の浜行川(はまなめがわ)に1964年に開業したのが「行川アイランド」です。トロピカルリゾートへの憧れが大きかった昭和中期、南国のフラミンゴや孔雀、オオハシ、コンゴウインコ、熱帯地域のサル、水牛、アシカなどの動物や南国の植物、ポリネシアンショーにプールやゴーカートなどのアクティビティを組み合わせた広大なリゾート施設として、人気を博しました。何しろこの施設のために国鉄(現在のJR東日本)外房線に専用駅が作られるほどで、車社会前の鉄道での旅ブームにもマッチしていました。アイランド=島と言う名がついていますが、敷地は島ではなく、海沿いの森林を切り開いたものです。
しかし、海側は名勝「おせんころがし」と呼ばれる断崖絶壁で、陸地側は鬱蒼とした山がそそり立ち、切り通しの道などない天然の要害のような場所。施設に入るには、山を穿った怪しい長いアプローチトンネルをくぐることになります。南国の動物の絵などがペイントされたトンネルは現実と途絶された異世界感をかきたて、当時訪れた子供たちは「秘密基地」へと潜入するようなわくわく感を味わったものでした。
園内に入っても、各所に細い手彫りトンネルや、迷路のようなつづら折れの杣道、不可解な造形物に出くわしたり、断崖と断崖の間に一部開けたプライベートビーチのような渚に行き当たったりと、秘密めいた雰囲気は満載で、フラミンゴや孔雀のショーの背景には、昼なお暗いジャングルのような原生林がかぶさるように茂り、今国内のどこを探しても、あのような雰囲気のテーマパークは存在しないでしょう。
それもそのはず、天然の要害と書きましたが、実際この地は戦前旧日本軍の秘密基地で、トンネルも日本軍によって掘削されたものを再利用したものだったのです。こうした独特の雰囲気から子供向けの特撮ヒーロー者のロケ地としても頻繁に活用され、怪人や悪の組織が、園を取り巻く森から出現するシーンをテレビで見たものです。
子供が多かった時代は活況だった行川アイランドも、1970年に隣市の鴨川市に「鴨川シーワールド」、1983年に同県内浦安市に巨大テーマパークと、強力な集客を誇る施設が開園したこととあいまって、少子化傾向と同期するように来園数が減り、2001年に惜しまれながら閉園してしまいました。
ちなみにキョンの飼育は園の歴史の前半からはじまったようです。「放し飼い、もしくは半放し飼い」という飼育法のせいだったのか、何回かにわたり脱走があったとも聞きます。野生化した先輩キョンに誘い出されて、飼育された後輩キョンが逃げ出す、なんてこともあったのかもしれません。
行川アイランドは、マニアには有名な巨大廃墟でしたが、2018年ついに再開発計画がスタートし、2020年にホテルリゾートが着工されることになったようです。今はなき、この行川アイランド一帯は、房総半島の中でもキョンの生息密度がもっと高い地域。再開発を受けて、どう変わっていくのでしょうか。
キョンは実は日本の歴史・伝統工芸と深く関わってきた
キョンのなめし皮は、宝飾品やめがね、楽器などの汚れをふき取り、加脂、除脂、塩素吸着の効能がある最高級のセーム革(シカ、ヤギ、ヒツジなどのなめし皮)で、一般的な羊皮よりも上質であるということは、一部ではよく知られています。柔軟性と吸湿性、そして髪の毛の太さの1/150万という超微細でなめらかなキョンの皮は古代中国では水を漉して飲料水を造るためにも使われてきました。日本でも飛鳥時代からキョン皮は輸入され珍重され、「小唐」「古唐」の名で、弓のゆがけ(弓懸、弽、韘 /弓を射る際の特殊な手袋)でも最高級品とされているように、中世までさまざまな武具に使用されてきました。江戸時代になり鎖国となると、キョン皮に代わりニホンジカの皮を使った印伝(セーム革細工品)が主流に、そして明治以降は輸入品を使うケースが多くなり、「鹿皮」というときにそれが何の鹿なのか、年齢や雌雄ほどは気にされていませんが、「小鹿の柔らかい高級輸入革」とされるものは多くの場合キョン皮であるようです。
千葉県や東京都では、房総半島や伊豆大島で急速に増加している(伊豆大島では、人口よりもキョンの数が多いとか)ことを受けて、捕獲駆除事業を始めていますが、捕らえられたキョンは殺処分され捨てられてしまうようです。いすみ市では捕獲したキョンの革や肉の利用を試み始めていて、一般の関心も高まてきています。このまま増え続けて農業被害が深刻になる前に、早いうちに適宜狩猟をし、獲ったキョンは無駄にせずに活用し、地域と生き物との共存の道を模索してほしいものです。
千葉県キョン防除実施計画
キョンの有効利用で命の大切さを考える