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第三十九候「蒙霧升降(ふかききり、まとう)」深い霧が立つ時期となりました


立秋も末候になりました。8月も後半にはいり霧の立ちこめる時期です。霧は地表や水面の近くで水蒸気が非常に細かい水滴となって漂う現象です。そのようすから小さな波に見たてて「いさらなみ」ともいわれます。「蒙霧升降」の「蒙霧(ふかききり)」は「もうむ」と読むと、もうもうと立ちこめた深い霧となり秋の深まりを感じます。霧のむこうに思いを馳せれば少しセンチメンタルな気分にも・・・。

今年は予期せぬ高温の日がつづき暑さとその対策におわれた夏ですが、続く暑さの中にも秋の気配が少しずつ感じるられるようになっていくことでしょう。


高原に広がる霧は美味しい野菜をつくりだす魔法かもしれません

高原でむかえる朝、窓を開けると山々をつつむ霧の静かな動きが明けゆく朝を彩ります。太陽の光に霧はいつの間にか消え、気づくと幻想の世界はどこへやら。

なだらかな斜面に広がる野菜畑は夏の高原の生命力。標高1000mから1500mの高冷地は、夏でも涼しい気候と昼夜の温度差、霧などが野菜の甘みをましたり色を鮮やかにする、と以前訪れた農家の方から聞きました。食べればだれでもが納得してしまう美味しさに「霧」は一役買っているというわけです。

長野や群馬を旅すると、高原野菜をつかった駅弁を買って食べるのが楽しみ、という方も多いことでしょう。シャキシャキとした歯ごたえの生野菜を駅弁で食べられることは、なかなかありませんから嬉しいことですね。


明け方の霧は野の花も生き生きとさせているようです

霧といったらこんな句が浮かびました。

「霧ふかき広野にかかる岐(ちまた)かな」 蕪村

蕪村はどこの広野でこの句を詠んだのでしょうか。与謝蕪村は俳人として大変有名ですが、素晴らしい水墨画をたくさん残しています。重なる山と繁る木々の景色を描く山水画。蕪村は必ず山水の風景に小さな細い道をつくり、旅ゆく人々の姿を描き込んでいます。もしかしたら蕪村自身かもしれません。大阪に生まれて江戸にのぼり、関東をあちこち旅して最後は京都に居をかまえ、画家として俳人としての人生を全うした蕪村は、たくさんの霧の中を歩いたことでしょう。霧の晴れた旅の途中には、こんな可憐な野の花に出会っていたかもしれません。


「秋の扇」季節が秋に移っても手放せないのが「扇子」

その昔「秋の扇」といえば、秋になって使われなくなった扇のことを指しました。「捨て扇」「忘れ扇」ともいわれ男性からの愛を失った女性に喩えられていました。失礼な話ですね。でもそれだけ扇が必要なものだった、ということかもしれません。ところが次第に、秋になってもまだ使われている扇のことを差すようになっていったようです。

「筆筒に背高きものや秋扇」 河東碧梧桐

この句はどっちでしょう? 秋になってまだ使うから筆筒に差しているのか、もう必要ないからなのか? ちょっと判断がつきません。でも「背高きもの」という言葉からなんとなく「筆立てには似合わない、じゃまなもの」という感じもしてきます。まだこの先も暑さが続きそうなこの頃ですから、扇子や団扇は当分の間手放せそうにもありませんね。

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