6月21日より、二十四節気・二至の一つ「夏至」となります。また、節気初日は、太陽が北の至点に到達し、北半球では一年でもっとも昼の時間が長い日となります。このためこの日を「夏に至る」=夏至といいます。この日を境に、太陽の軌道は反転して南下し始め、昼の時間は日一日と短くなっていきます。
風土的に梅雨の真っ只中にある日本では比較的地味に通り過ぎてしまう夏至ですが、世界的には、特に北方に位置するヨーロッパ文化圏を中心にして夏至祭=Mid Summer Dayは大切な祝祭日で、かつては6月24日を夏至の日と定め、祝祭の儀式がおこなわれましたが、キリスト教に改宗された後は洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)の生誕日とされ、盛大に祝われます。
死と再生の過激なイニシエーションを施したイエスの先駆者・洗礼者ヨハネ
ご存知のように、北半球では、一日の日照時間がもっとも短くなるのが冬至、逆にもっとも長くなるのが夏至の日になります。冬至と夏至の日照時間の差は緯度によって異なり、温帯地域の中ほどからやや南に位置する日本列島の、その中でも真ん中あたりの東京では、平均で5時間近くの差があります。この差は北に行くほど(緯度が高くなるほど)大きくなり、北極圏の近辺では、夏至の頃は夜もほとんど日が沈まない、いわゆる白夜に、逆に冬は日中もほとんど太陽が昇らないほどの落差があります。
このように太陽の一年の変動が激しいヨーロッパの北方地域を中心にしたケルト民族の古代文明では、夏至と冬至は一年でもっとも重要な日に当たり、ドルイド教では盛大な祝祭がおこなわれました。
やがてヨーロッパ全域がキリスト教国化していく過程で、古代の祝祭はキリスト教の行事に取り込まれ、冬至の祭りがクリスマス(キリストの聖誕祭)に変質します。一方、夏至は洗礼者ヨハネ(יוֹחָנָן הַמַּטְבִּיל / John the Baptist)の聖誕祭に姿を変えました。宗門の開祖であり教祖であるイエスの誕生日が冬至になるのはわかります。そして一年のちょうど真反対、クリスマスと対極にあって並び立つ大切な夏至の祭りをその誕生日に設定するほど、洗礼者ヨハネはキリスト教にとって重要な人物。しかし多くの日本人には洗礼者ヨハネと言われても、ぼんやりとしか聞いたことのない、印象の薄い存在ではないでしょうか。洗礼者ヨハネとは誰なのでしょう。
洗礼者ヨハネは、一言で言えばイエスの師匠にあたります。イエスの生母・マリアと、ヨハネの生母・エリザベートは一説ではいとこ同士とも伝えられ、つまりイエスとヨハネは「はとこ」に当たることになります。
マリアが一足早く懐妊したエリザベートを見舞うエピソードも福音書に書かれており、ルネッサンス期にはレオナルドは赤ん坊のイエスと洗礼者ヨハネが聖母の周囲で戯れる絵を描いています。いわば、ヨハネはイエスの先駆者、偉大な兄としてとらえられている存在なのです。ちなみに「洗礼者ヨハネ」もしくは「バプテスマのヨハネ」と呼ばれるのは、イエスの十二使徒の一人で、「ヨハネの福音書」「ヨハネの黙示録」の著者であるもう一人のヨハネがおり、この人と区別するためにそう呼ばれます。ヨハネは英語で言うとジョン、ドイツ語ではヨハン、フランス語ではジャン、ロシア語ではイワン。ありふれた名前のため、イエスの周囲にも複数いた、と言うわけですね。さて、この洗礼者ヨハネは、言い伝えではイエスよりも半年年長で、イエスに先駆けて荒野での修行をはじめています。紀元0年前後の数百年のイスラエル地方では、世俗から離れ、私有財産を持たずに共同信仰生活を営むユダヤ教の一派「エッセネ派」の活動が活発でした。二十世紀最大の考古学的発見といわれる「死海写本」も、エッセネ派の残したものです。ヨハネもエッセネ派と行動をともにし、その信仰形態や思想を吸収したものと思われます。
やがてヨハネはエッセネ派の集団から離れ、浸礼儀式を主体にしたヨハネ教団を形成するようになりました。浸礼とは、いわゆるカトリックの洗礼、つまり聖水を額につける滴礼、灌水とは違い、全身を水の中につけて清める儀式のことです。現在でも浸礼は一部でおこなわれていますが、ヨハネのおこなっていた浸礼は、水に受洗者を深く沈め、失神させてから引き上げて、仮死状態にしたものを蘇生させるという、過激なイニシエーションであった、ともいわれています。この行によって、信者はそれまでの人生から一度死んで生まれ変わる、死と再生を体験することになったわけです。
イエスも、ヨハネの手によりヨルダン川で浸礼を受け、いっときヨハネ教団の一員、ヨハネの弟子として行動していたといわれています。
情欲の象徴・サロメによるヨハネの刑死
ヨハネ教団はイスラエルの各地を巡って多くの信者・支持者を得ていきます。
当時、ローマ帝国からイスラエルのガリラヤ地方の自治を任されていたヘロデ・アンティパス(ヘロデ王)は、異母兄弟の寡婦だったヘロデアを妻に娶り、「兄弟の妻を娶ってはならない」という当時の律法に反する行いだ、とヨハネにとがめられます。このことを伝え聞いたヘロデ王は怒り、ヨハネを捕らえて獄中につなぎました。ヘロデアには連れ子の年頃の娘サロメがおり、その妖艶な美貌で知られていました。ヘロデ王の誕生祝の余興でのサロメの舞いに高揚興奮したヘロデ王は、サロメに何でも褒美は取らせる、と言います。するとサロメは、ヨハネの首を所望します。ヘロデ王は、ヨハネの民衆からの人気振りを知っていたのでしぶりますが押し切られ、ヨハネは斬首されて果て、首は盆に載せられてサロメの元に運ばれ、サロメはその生首をめでた、といわれます。
この退廃的な、血塗られた王宮でのエピソードは、洗礼者ヨハネの聖誕祭が夏至と設定されたこととも関係があるでしょう。古代では、夏至はもっとも人の情欲が高まるときとされ、男神と女神も夏至の日に交わる、と信じられてきたからです。
日本の夏至は、陽気の絶頂点であると同時に、それ以降日に日にその力が衰えていく、衰滅のはじまりの日でもあります。性愛の絶頂と、性愛に囚われ(まさにヨハネは情欲にまみれたヘロデ一家に囚われました)ることが滅びの路である、ということを体現する運命を、教義上洗礼者ヨハネは担っていたのです。そしてその後から、それを超克した不滅の精神による愛を担ったイエスが現れる、というストーリーを、季節の移ろいを通して体験する仕掛けが、冬至=イエス、夏至=ヨハネという対照としてあらわされているのです。
「乃東枯(ないとう かるる)」は「ウツボグサが枯れる」ことではありません!
さて、話はがらりと変わりますが、「夏至」の第一候は「乃東枯(ないとう かるる)」。「乃東」と言う草が枯れる、という意味ですが、多くの歳時記でこれを「夏枯草=ウツボグサ」としています。ウツボグサ(靫草 Prunella vulgaris.L.)は、シソ科の多年草。「靫(うつぼ)」は「ゆぎ」とも言われ、腰につけて矢を携帯するための筒状の容器のことです。筒型の穂になった台座から紫色の花が咲くさまが、ウツボから矢羽根がのぞいているように見えることからつけられた名前ですが、このウツボグサの花期はむしろ今の時期からで、とうてい「枯れる」とは程遠い最盛期に向かうときです。「七十二候鳥獣虫魚草木略解」(春木煥光)では、かなり力をこめてこの候を解説しています。
乃東ハ夏枯草ノ一名ナリ 和名鈔ニウルキト云 今俗ニ十二一重ト呼フ (中略 )種熟スレハ苗枯ル 即チ夏至ノ候ナリ 故ニ夏枯草ノ名アリ 苗枯ルヨリハ直ニ根ヨリ新苗ヲ生ス
乃東は夏に枯れる草の一つでウルキ、最近ではジュウニヒトエと呼ばれる草である、と解説しています。そうです、乃東はウツボグサではなくジュウニヒトエ(Ajuga nipponensis)のことです。春、4月から5月ごろ、柔毛におおわれ、うっすらとシャーベットピンクがさした白っぽい花を何層にも重ねてつける、なかなか美しい野草です。
続けて煥光は
古来ウツホ草ヲ夏枯草ニアテタリドモ誤ナリ 稲若水翁貝原翁ナトモ之ヲ弁明ス ウツホグサハ徐州夏枯草ニテ真物ニアラズ(中略) 花夏至後ヒラク 夏枯草ノ名ニタガヘリ
と断定しています。ウツボグサは夏至後に花が咲くのだから夏枯草と言うのにふさわしくない、とまっとうな意見を述べています。これをいえるのなら、なぜ「紅花栄」で、季節の違うベニバナについてはスルーしていたのか不思議ですが、ともかくこの項目ではきわめて正しいことを述べています。
以前から繰り返していることですが、貞享七十二候の生き物の季節の振る舞いは正確に時期と対応して設定してありますので、歳時記や辞書等ではいいかげんなことを書かず、きちんと暦の編纂者の意向を汲んで、正しい解説をしてほしいものです。
夏至は、欧米の各地でさまざまな祝祭が催されています。日本では近接して「七夕」という行事があり、最近では夏至と七夕をミックスさせたイベントが徐々に広がりつつあるようです。ハロウィンやイースターなどのように今後、Mid Summer Dayが日本でもイベントとして盛り上がるときが来るかもしれませんね。