四月八日は釈迦の生誕の日として、各寺院でその降誕を祝福する行事が行われます。俳句においても、仏生会(ぶっしょうえ)、灌仏会(かんぶつえ)、降誕会、誕生会、花祭、花御堂(はなみどう)、花の塔、甘茶、五香水、仏の産湯など多様な季語で、この日の行事が彩られています。健やかな成長を祈る稚児行列も行き交う、華やかな1日をご紹介しましょう。
灌仏とは?花御堂って何のこと?
釈迦の誕生日を祝う行事は、古くから仏生会、灌仏会と呼ばれていました。花祭と称したのはもともと浄土宗でしたが、のちに各宗派を通して用いられるようになります。花祭には、季節の花々で飾られた花御堂の中に、誕生仏が安置されます。
花御堂は、釈迦の生誕地であるルンビニーの花園を模したもの。日本では室町時代以降に、花御堂を造立する習わしが生まれたと言われています。花御堂内の誕生仏に参拝者が柄杓で甘茶を注ぎますが、このことを「灌仏」と言います。
誕生仏に甘茶をかけるのは、釈迦の誕生の際に八大竜王が甘露の雨を振らせて湯浴みした、という伝説によるもの。正式には五香水・五色水という五種類の香水が用いられますが、江戸時代から甘露に倣って、甘茶になりました。霊液の甘露を飲むと苦悩を払い、長命を授かるといわれます。甘茶はアマチャヅルの葉を煎じたものです。
灌仏の日に生れあふ鹿の子かな
芭蕉の頃から盛んに仏生会の句が作られていますが、旧暦の四月八日は、初夏の若葉の季節。明治以降の太陽暦の、花々の咲き乱れる今の時期とは、季節感も異なります。まずは江戸の句をご紹介しましょう。
灌仏や皺手合する数珠の音
〈芭蕉〉
灌仏の日に生れあふ鹿の子かな
〈芭蕉〉
子鹿が生まれるのは、初夏。灌仏の日に生まれた鹿の子に注ぐ芭蕉の眼差しと、芭蕉も感じていたのでしょう、釈迦の慈愛を感じますね。子鹿は今にも立ち上がろうと、足を踏ん張っているのでしょうか。
灌仏やふくら雀も親連れて
〈一茶〉
子どもらも頭に浴びる甘茶かな
〈一茶〉
山寺や蝶が受け取る甘茶水
〈一茶〉
わらべらに天かがやきて花祭
甘茶が注がれる誕生仏は、右手で天を、左手で地を指しています。釈迦は誕生とともに四方に七歩ずつ歩んでこのポーズを取り、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と語ったといいます。その意味について「我々はそれぞれ宇宙にただ一人の、誰とも代わることのできない、尊い存在である」という解釈もされています。ありのままで良いのだ、と説いてくれたのだと思うと、心強いですね。
花祭の日には、ぷっくりとした誕生仏に甘茶を注ぐために、人々が列を作ります。張りぼての白い象を先頭とした稚児行列が進む参道には、季節の花も咲き乱れることでしょう。太陽暦以降の仏生会の句には、子どもたちが主役の、そんな明るく賑やかな一日が描かれています。
わらべらに天かがやきて花祭
〈飯田蛇笏〉
花まつり母の背ぬくし風甘し
〈楠本憲吉〉
白象が大橋渡る花まつり
〈前田圭史〉
花祭稚児の口みな一文字
〈明石志園〉
地を指せる御手より甘茶おちにけり
〈中村草田男〉
葺きあげて野の花ばかり花御堂
〈木村有恒〉
花御堂美濃の紫雲英(れんげ)を葺き重ね
〈近藤一鴻〉
生れし日はわれも小さし仏生会
焼跡の天の広さよ仏生会
〈深見けん二〉
太古の火太古の闇や花祭
〈馬場俊吉〉
釈迦の誕生の頃には、闇をおそれ闇を敬い、そして火をおそれて火を敬っていたはず。花祭の歴史の長い年月を、脳内に再生したのでしょうか。
仏生会鎌倉のそら人歩く
〈川崎展宏〉
鎌倉に京の末寺の甘茶寺
〈松原地蔵尊〉
仏生会くぬぎは花を懸けつらね
〈石田波郷〉
腰かがめ誕生仏にまみえけり
〈大澤靜子〉
生(あ)れし日はわれも小さし仏生会
〈森 澄雄〉
昔から、そして戦後を経て現在まで、老いも若きも合掌してきた仏生会。今年も各地のたくさんのお寺で花祭が開催され、お寺によっては稚児行列や甘茶の接待が行なわれます。ご近所の花祭に出かけて、春うららな生命の喜びを体感してみるのも楽しいことでしょう。
【句の引用と参考文献】
『新日本大歳時記 カラー版 春』(講談社)
『カラー図説 日本大歳時記 春』(講談社)
『読んでわかる俳句 日本の歳時記 春 』(小学館)
『第三版 俳句歳時記〈春の部〉』(角川書店)