1月30日より、大寒末候「「鶏始乳(にわとり はじめてとやにつく)」となります。春の気配を感じて産卵期が近づいた鶏が、鳥屋に入って産卵の準備を始めるころ、という意味で、この候をもって、立春初候「東風解凍」からはじまった七十二の候のめぐりは締めくくりとなります。
文明の黎明期。人々は野鶏を家畜化した
現代の品種改良された産卵用品種のニワトリは、壮年期にはほぼ一年中毎日産卵する能力を持っていますが、それ以前のニワトリには産卵の周年周期があり、秋の終わりから冬の間は、産卵をしないのが普通でした。ですから、日脚が伸び、再びニワトリが産卵を始めることは、春の訪れで生命活動が復活することの喜びを象徴する慶事であり、それはイースター(復活祭)のシンボルがタマゴであることにもあらわれています。
産卵周期のあるかつての飼育鶏。そのニワトリも、他の家畜類と同様、野生生物を飼いならしたものです。一説によれば紀元前6000年というはるか昔、人間はニワトリの原種となる野鳥を飼いならし、家畜化しました。チャールズ・ターウィンの祖父・エラズマス・ダーウィンは、ニワトリの原種となる野鳥は、中国南部からヒマラヤ山脈、インド半島、インドシナ半島にかけての森林に広域に生息するセキショクヤケイ(赤色野鶏 Gallus gallus)である、と指摘しました。そしてそれは現代では遺伝子解析などでほぼ正しいことが証明されています。ただし、セキショクヤケイにはカロテノイドを分解して無化する酵素(黄色皮膚対立遺伝子)があるため、セキショクヤケイ単独の先祖からは、ニワトリの特徴である黄色い足(皮膚)は現出しないことから、南西インドにすむハイイロヤケイ(灰色野鶏Gallus sonneratiil)も、ニワトリの先祖として交雑していることが明らかになってきました。
東南アジアから南アジアにかけては、「ヤケイ属」と言われる見た目もニワトリによく似た野鶏の仲間が何種類か生息していて、先述した二種以外にも、セイロン(スリランカ)ヤケイ、アオエリヤケイなどを見ることが出来ます。
セキショクヤケイのオスは頭部には鶏冠と肉垂れがあり、オンドリとシルエットはそっくり。首まわりは赤みを帯びた金色で、ときに緑がかった金属光沢をたたえる美しい羽を持ちます。メスは全身茶褐色の地味な保護色で、雌雄の個体差はニワトリよりも顕著で、キジを思わせます。
ニワトリの先祖セキショクヤケイ・飼育過程のナゾ
セキショクヤケイがいつ野生から家畜化されたのか、その詳細は諸説が入り混じりはっきりわかっていません。現在でも、現地の人たちは森で出会うと捕らえ、檻に入れて餌付けし、ペットのように飼ったり、野鶏同士を交配させたりしています。そのようにして昔の人々も野鶏を家畜化したのでしょうが、その理由は不明です。オスはテリトリー意識が強く、闘争心も旺盛で蹴爪が発達しています。人間にも容易に馴れず、また飛ぶことも可能なのでとりたてて捕まえやすい鳥、というわけでもありません。
またメスの産卵数もわずかで、春に4~6個の卵を産んで三週間ほど抱卵するサイクルを数回繰り返すだけで、年間に産む卵はせいぜい十数個。卵をとるため、ということとも違います。
他のヤケイ属よりも広域に生存するセキショクヤケイがニワトリの遺伝子の大半を担っていることは間違いないのですが、その家畜化の過程は、飼育からふたたび自然化したり、また自然化したものがかなり家畜化されて世代を重ねて「ニワトリ化」したものが野生の野鶏と交雑してまたハイブリッド化したり、人間によって持ち込まれた野鶏が、その地域の固有の野鶏と交雑してしまったりと、ニワトリがニワトリとなるまでにはさまざまな紆余曲折があったようです。そして、そんなニワトリの遺伝子由来の解析と家畜化の過程の解明が急がれています。
なぜ、ニワトリの起源の解明が重要課題なのか。それには、しのびよる進化型の鳥インフルエンザによるニワトリのパンデミック汚染の脅威があります。
現在、鳥インフルエンザの感染が拡大し、つい先日の1月5日に東京都大田区で回収されたオオタカ1羽の死骸から高病原性鳥インフルエンザウイルスが検出されました。高病原性鳥インフルエンザは、人にも感染するため、東京都内の四つの動物園(恩賜上野動物園・多摩動物公園・井の頭自然文化園・葛西臨海水族園)では、展示鳥類の一般公開を控える措置を取りました。
ニワトリの数は世界中で採卵・ブロイラー等として200億羽以上(日本でも3億羽)、他のどの家畜よりも圧倒的に多い数が飼育されています。人口1人当たり約三羽のニワトリがいることになり、人類のもっとも重要な食肉であり、蛋白源となっています。
しかし、広がる鳥インフルエンザにより、ニワトリの大量死、全廃棄などの事態も世界中でおきています。一括集中管理の飼育体制の見直しや、ニワトリの遺伝子的多様性を確保することでのパンデミックの予防と代替種の準備は喫緊の課題であり、そのためにニワトリの先祖であるセキショクヤケイの遺伝子・種保存の重要性が叫ばれているのです。
一年のサイクル、これにて終了。七十二候の俗説をおさらいします
さて、明解な内容の二十四節気と違い、さらに細分化した七十二候は、原典が礼記の文章であることなどから表現的にわかりにくいことが多く、また、本朝七十二候も何度かの変更がおこなわれていることから、採択者の本意が後世に伝わりづらく、恣意的解釈が入り込み、間違った解釈が流布されて俗説が形成されました。既に過去記事でそのいくつかの間違いを指摘してきましたが、一年の巡りの締めくくりに、そして新しい一年の巡りを控え、今まで取り上げた俗説をまとめてみたいと思います。
【大暑初候 桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)】
多くの歳時記では、この候を「桐(紫桐)の実が結ぶ頃」、少数の歳時記では「青桐(梧桐)の花が咲く頃」としていますが、明確に間違いです。
実を結ぶのなら、「結花」ではなく「結実」ですし、実際には結実はもう少し後です。また、花が咲くことを「結花」とは表記することはありません。「結花」とは、桐の木がこの夏の土用ごろの時期翌年の花蕾をつけることを意味します。「桐の花の蕾が結ぶ頃」という意味です。
本朝七十二候の生物のふるまいの時期設定は正確です。
【秋分末候 水始涸(みずはじめてかるる)】
ごく一部を除き、ほとんどの歳時記でこの候の意味を「田んぼの水を落とす頃」と説明しています。しかしこれも間違い。
七十二候は、自然や人間以外の生物の営為を通じて自然の気象のめぐりと作用するエレメントの交代を表したもので、「田の水を落とす」というような、人間の営為に当たる農事にふれることはないからです。また、田の水は稲刈りのときにのみ落とされるものではなく、一年の間に何度も落としています。
正しい意味は、多雨湿潤の季節が終わり、少雨乾燥の季節を迎え、自然の水源が涸れ始める、という意味です。
【立冬末候 金盞香(きんせんかさく)】
ほとんど全ての歳時記で、この候を「水仙が咲く頃」としています。しかし、実際には水仙が咲き始める平均日はかなり後であり、季節的にも適当ではありません。
金盞=水仙の根拠となっているのは水仙の別名である雅号「金盞銀台」にあります。しかしこの候が登場したのは宝暦暦からで、その前の暦である貞享暦では、大雪の初候を「水仙開」としており、七十二候で順番を入れ替えることはあっても、同一の花を別名に言い換える例はないため、ここで言う金盞は水仙ではありません。そして宝暦暦の編纂に携わった西村遠里自身が「金銭香は金盞花が香るころ」と明言しているため、金盞とは間違いなく金盞花のことです。
ただし、この金盞花は私たちになじみのあるオレンジ色で八重咲きのトウキンセンカではなく、江戸時代前期に一般的だった、小さな一重咲きのホンキンセンカ(フユシラズ)のことです。
【冬至次侯 麋角解(さわしかつのおる/びかくげす)】
ほとんどの歳時記や辞書で「大鹿の(またはヘラジカ、トナカイの)角が落ちる頃」としていますが、「大鹿」とは何を指しているのか不明で、中国中原地域の気候や自然生物が基本である七十二候で、トナカイやヘラジカが出てくるのも変です。古くは中国に多く生息し、この時期に角を落とす、アカジカよりも大きな鹿。それは中国名で麋鹿(ミールー)と呼ばれ、日本では「シフゾウ(四不像)」として知られている生物のことです。つまり意味は「シフゾウの角が落ちる」。
ところで、本朝七十二候を編纂した渋川春海は、宣明暦の七十二候に登場する日本にはいない生き物を、日本にいる生物に書き換えました(例・虎始交→熊蟄穴)が、なぜか日本にはいない麋のみは残しました。これについては、西村遠里が「麋角解とはカモシカの角が落ちること」と解説していて、どうも麋のことをカモシカのことであると、彼らはは思い込んでいたようです。当然カモシカは角は生え変わりませんので、この解説は間違いです。カモシカの生態について、江戸時代当時の人はあまり詳しくなかったようです。このことについては、いずれ詳しく書こうと思います。
この他にも、まだいくつか、解釈に問題のある候(たとえば「紅花栄」)がありますが、新しい一年のめぐりの中で、それらの候についても触れていけたらと思います。
鳥インフルエンザウイルスの状況に伴い一部の鳥類の展示を中止します/上野・多摩・葛西・井の頭 2018/01/17
図録・世界の家畜数