日中、太陽が出るとまだ暑いですね。残り少ない夏を惜しむかのようなセミの大合唱がまだ聞こえますが、同時に、秋の代名詞である虫の音も聞こえ始め、夏の光がすこしずつ弱くなっていく気配を感じるこの季節。
朝夕や日陰に入ると秋めいた涼しい風を感じますが、秋はもう少し先のようです。そこで今回は、去りゆく8月を惜しみつつ、晩夏から初秋の詩歌を紹介しましょう。
夏の終わりはなんとなくけだるい
蓄積した夏の疲れもあるのか、この時季は日常の用事も日中がはかどらないもの。思いつくこともなく、夏の疲れがでたのか、なんとなくけだるい……そんな心情を詠んだユーモラスな句が、
〈詩嚢(しのう)渇れ冷蔵庫など開けて見る〉榊原石浦
「詩嚢」は詩の新しい着想のことをいいます。それが渇れてしまって、なんとなく冷蔵庫を開けてみるのですが、新しいアイディアなど入っているわけもありません。
日が陰る夕方になると、ちょっとホッとします。
近所を散歩したら、なでしこが咲いているのに気がつきました。なでしこは昔から夏・秋のどちらに入れるべきか、という議論がさかんな季語です。
〈撫子(なでしこ)やそのかしこきに美しき〉広瀬惟然
〈なでしこの節々にさす夕日かな〉夏目成美
一方、晩夏に咲く花の中で、夕顔には「源氏物語」の影響もあるのか、どことなくはかないイメージがあります。
〈淋しくもまた夕顔のさかりかな〉夏目漱石
〈夕顔に言葉のはしをききもらし〉稲垣きくの
〈夕顔や病後の顔の幼(おさな)ぶり〉富田木歩
「晩夏光」は夏のさかりに比べて衰えが感じられる光のことです。
〈遠くにて水の輝く晩夏かな〉高柳重信
〈晩夏光タウンページに探しもの〉内田美紗
〈海暮るる岬に哀愁アロハシャツ〉秋沢猛
こんな不思議な、見えないものを見ているような歌もあります。
〈晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の瓶の中にて〉葛原妙子
「夜の秋」という季語は、夏の季語です。昼間はまだまだ暑いけど、夜などに秋のような空気を感じる、そんな時間を表現した季語です。
〈涼しさの肌に手を置き夜の秋〉高浜虚子
〈海わたる魂ひとつ夜の秋〉桂信子
〈読みかけの書ばかり読んで夜の秋〉石川桂郎
この「書」は本のことです。本を読んでみようとはするけど、まだじっくりと一冊読むというのではない、という感じでしょうか。季節の移り変わりに感じる気分なのかもしれません。
次の句の夏と文庫本というのはどういうわけか、よく詠われる組み合わせです。
〈晩夏晩年角川文庫蝿叩き〉坪内稔典
はっと気がつく秋の始まり
そして秋が来ます。次の歌がなんといっても有名でしょう。「おどろかれぬる」は、「はっと気づいた」という意味。「風の音」は、実際の音でもあり、微妙な空気の変化、というふうに解釈もできるでしょう。
〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる〉藤原敏行
初秋の歌で明治時代に詠まれたこんな歌もあります。
〈馬追(うまおひ)の髭(ひげ)のそよろに来る秋はまなこを閉じて想ひ見るべし〉長塚節
「馬追」はいわゆるスイッチョンのこと、「そよろに」はおもむろに、の意味です。ミニマルな空気の震え(のようなもの)が感じられて、すばらしい歌です。
〈ぶりきの蝉へこへこと秋立ちにけり〉高橋睦郎
「ぶりきの蝉」が「へこへこと」という言葉が帯びる、なんともいえず脱力した感じが、夏を通り過ぎたのちの秋を感じさせます。夏の終わりから秋にかけて、台風がやってきます。季語では〈野分〉と言います。
〈大いなるものが過ぎ行く野分かな〉高浜虚子
風とともに季節も言葉もめぐっていくかのようです。