4月30日より「穀雨」末候「「牡丹華(ぼたんはなさく)」となります。読んで字の如しで解説は不要でしょう。上代に大陸から日本に伝わり、その後大いに愛されて、鑑賞に、日本画や着物、焼き物や彫刻、刺青などの意匠となった牡丹。でも現代の日本人は牡丹がどんな花か、昔の人のように明確に思い起こせない人が多いのではないか?
ともすると、あるまったく異なる花と取り違えている人が多いような気がします。どうしてなのか、考察してみました。
百花の王のはずなのに…なぜか影が薄い牡丹の謎
ボタン(牡丹 Paeonia suffruticosa)は、ボタン科ボタン属の落葉低木。その豪奢で圧倒的に美しい花の姿は、「富貴花」「百花の王」と呼ばれ、間近で見ると息を呑んで見つめずにいられません。
ところが、桜(ソメイヨシノ)の花見季節に近接しているためか、GWの直前・最中頃に咲くためか、洋花の王様・薔薇とどことなく姿や花色がかぶるせいか、あまり牡丹の開花が大々的に報じられたり巷間に上ることはありません。かえって藤やツツジ、芝桜やネモフィラなどの開花情報のほうが、ずっと多いくらいではないでしょうか。
もちろん、奈良桜井市の牡丹で有名な長谷寺や、東京上野東照宮の冬ぼたんを訪れて楽しむような、牡丹好きの方には関係ない話です。しかし、特別花に造詣の深くない人にとっては、「牡丹」というとその本物の花よりも、「牡丹雪(ぼたゆき)」や「牡丹鍋(イノシシ鍋)」、「牡丹餅(ぼたもち)」、あるいは花の少ない冬の庭園や公園の花壇に植えられておなじみの「葉牡丹(はぼたん)」など、牡丹の名を与えられた別物のほうが、見る機会が多いのではないでしょうか。
そして、筆者は以前からある憶測を抱き、ときどき知人に「ボタンってどんな花だと思う?」という質問をしています。すると、ほとんどの場合はぼんやりしたイメージで、葉や全体の姿も思い浮かばないことが多く、しかも椿や山茶花(サザンカ)と混同している人が一定数いることに気がつきました。
巨大な花をつける牡丹は落葉低木で、葉は切れ込みが深く薄い華奢な葉です。かたや椿は常緑高木で、「艶葉木(つやばき)」が語源といわれるとおり、分厚く、つやつやとした濃い緑の葉が特徴です。
花は牡丹とは大きさも形も比べ物になりません。もちろん椿は椿で、わび茶の世界で愛される、枯淡の滋味深い趣があり、また、花盛りに木一杯に真っ赤な花をつけるときには妖しい美しさがあります。が、とうてい似ても似つかない両者なのに、「現代の日本人のかなり多くの人が牡丹と椿を混同している」という不思議な傾向があるようなのです。それはなぜだろう、と考えるようになりました。
ぼたぼたと落ちる椿がいつしか…
「牡丹雪」は空中で合体して大きな雪片となって落ちてくる雪のことをさし、そのさまが牡丹の花びらが落ちてくるようなので牡丹雪と言いますが、新潟県・福井県・石川県・山形県庄内地方・大分県などでは「ぼた雪」を「ぼたぼたと落ちてくるから」ぼた雪というそうです。
そもそも、大きな雪片を花びらに見立てるのはよくわかりますが、なぜそれが「牡丹」になるのかやや説得力がなく、本来「ぼた雪」といっていたものを後から風流に「牡丹」にむすびつけたのではないか、とも考えられます。
「牡丹餅」についても、「春の彼岸ごろに咲くから牡丹餅」というが、秋の彼岸ごろに咲く萩が「おはぎ」につながるのはわかるけれど、牡丹の開花時期は実際には春の彼岸ごろではなく今頃です。和漢三才図会に「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」と記されているために疑いをもたれませんが、本来はおはぎよりも大きなものをぼた餅と呼んだという説もあり、とすると「ぼたぼたしている」からぼた餅で、あとから牡丹につなげられたのかもしれません。考えてみれば「棚からぼた餅」という成語も、上から「ぼたっと落ちてくる」からぼた餅なのではないでしょうか。
そして、椿は花びらが散らずに首から「ぼたっ」と落ちる花の代表です。ややこしいことに、椿の八重咲きは「牡丹咲き」と名づけられていて、牡丹咲き椿を「牡丹咲き」と呼ぶことも多いのです。これをよく知らない人が「ははあこれが牡丹か。ぼたんという名の通り、花もぼたんと落ちるね」と思うこともあったでしょう。
「ぼた雪」や「ぼた餅」、そして「ぼたっと落ちる」「牡丹咲き椿」。こうしたイメージ、連想からいつの間にか、まるで似ても似つかない牡丹と椿が混同されるという事態が起きてしまったのではないかと思われます。
男気・任侠・剣士のシンボルとなった牡丹
「牡丹」という変わった花の名は、分解すると「牡」つまりオス(牡馬など競馬用語で使われますね)と、「丹」つまり辰砂、赤い色のこと。一説では、花に赤い色が多いことと、また栽培種は結実をさせず苗から育て、代木に接木することから「子をなさない」=オスと見立てられ、「赤いオス」という意味から名づけられたといわれます。
そのせいか、男気や強さの象徴ともとらえられ、滝沢馬琴は代表作「南総里見八犬伝」では、八人の犬士の体のどこかに「牡丹のあざ」がある設定にしていますし、また同じく馬琴の大ヒット作「傾城水滸伝」から巻き起こった江戸の水滸伝ブームに乗り、歌川国芳が「通俗水滸伝豪傑百人之一個」の錦絵シリーズにおいて、百八人の英雄の全身に極彩色の刺青をほどこして描き、わけても浪士燕青の背には見事な「唐獅子牡丹」の刺青を描いて当時の江戸っ子たちを魅了し、町火消しや鳶・大工、あるいは博徒などの職種の人々は、競ってこの錦絵を真似た刺青を彫るようになり、いわゆる「紋々」といわれる日本風の筋物の刺青は、この頃に確立したものだといわれます。
こうした理由から、一方では「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」という江戸美人をあらわす代名詞をあらわし、振袖などの図柄としても使われながら、どことなく牡丹の花は任侠や暴力、ガラの悪さのイメージも醸成されてきたようです。そして、多くの刺青の唐獅子牡丹の図柄では、メインの唐獅子の背景をうずめるような複雑な波模様と交じり合い、牡丹の絵柄はかなりデフォルメ・単純化され、正確な葉の形や全体の姿を描かれてはいません(国芳の錦絵はさすがにかなり正確に細かく描いていますが)。
映画「唐獅子牡丹」で高倉健が背負う刺青の牡丹も、牡丹というよりは棘こそないが薔薇の花のようで、これでは絵でしか見たことがない人が牡丹を正確に思い浮かべることは出来ず、椿と混同した人がそのイメージを修正する助けにはならなかったでしょう。
「獅子に牡丹」も由来は謎でした
「獅子に牡丹」という取り合わせは、「竹に雀」「波に千鳥」「梅に鶯」「竜に雲」などと同様、おめでたい吉祥の組み合わせの意匠として成立しているのは確かですが、ではどうして、いつごろ、どんな意味があってこの組み合わせになったのかは実のところはっきりわかっていません。
ネット上では、牡丹の朝露が無敵の獅子の唯一の天敵「獅子身中の虫」を殺すため、獅子は牡丹の花の下で憩うのである、という説が散見されるのですが、どこかこじつけのようにも感じます。猫が胃腸の調子を整えて雑草を食べている姿を見て、百獣の王の獅子ならば百花の王牡丹を食べるのがふさわしい、という連想かもしれません。それがいつ、誰によって語られるようになったのかは不明で、出典は皆目わからず(ネットでの出所は臨済禅・黄檗禅公式サイト所収の法話のようです)、近世ごろからの俗説の可能性もあるように思われます。
ただ、能で有名な演目「石橋(しゃっきょう)」では、獅子口を着用した舞の舞台には牡丹が飾られ、また同じく歌舞伎の「石橋」「風流相生獅子」「連獅子」(総称して『石橋もの』)でも牡丹の前で獅子が踊ることになっていて、「獅子と牡丹」は鎌倉・室町期ごろにはセットのものとして扱われることになっていたようです。神社の狛犬(狛犬というのは本来有角ですので、実際には現在の神社の狛犬の姿はほとんどが唐獅子です)の中でも江戸期から明治にかけて盛んに作られた島根の来待石(きまちいし)を用いた狛犬では、台座の多くに牡丹が彫られていて、江戸期以降は、ますますセットとして扱われることが多くなっていたようです。狛犬の中には、牡丹とおぼしき草をむしゃむしゃと食べている変った石像もあったりします。