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横浜・織田翔希が米国挑戦決断 “夢の実現”へ大学進学も選択肢に入れながら進路探る


【写真】横浜・織田翔希(2026年10月撮影)

ついに時代が動く。日本のトップ・オブ・トップのアマチュア選手が、NPBを経由せずにメジャーへの階段を上る。横浜(神奈川)の最速157キロ右腕、織田翔希投手(3年)が、米国挑戦を決断したことが、関係者への取材でわかった。NPBかメジャーか。選択を迫られていたが、米国挑戦の先にメジャーリーガーという“夢の実現”を描きながら、新たな道へ歩き出す。15日に開かれる会見で、正式に表明する。

   ◇   ◇   ◇

超高校級の逸材右腕が“夢の実現”のため選んだのは、高卒から直接、米国への挑戦だった。9月25日にプロ志望届を提出した際には「メジャー挑戦」「NPB」の選択肢があった。国民スポーツ大会後、14日までにNPB12球団の面談を終えた織田だったが、米国への強い意思は変わらなかった。直接メジャーではなくても、米国の大学進学も選択肢に入れながら、今後の進路を探る。

悩み抜いて出した決断だった。今年に入り、練習試合や公式戦にはメジャースカウトの姿が多く訪れるようになった。織田は春先に「最初は信じていなくて。正直、全然気にしていなかったんです。でも、少しずつですが考えるようになりました」と、気持ちの変化を感じていた。センバツ初戦敗退の悔しさから立ち直り、春季関東大会優勝、神奈川県大会優勝、甲子園4強入りに、高校日本代表入り。自己最速の157キロをたたき出し、甲子園でも大会最速の156キロを記録。世界の舞台への自信をつけた。

選んだ道は決して平たんではない。慣れない生活環境が野球にも影響しリスクも高い。夏前には「どちらの道も苦労はある。それならば、早めに行って環境に慣れることで自分を高められる」と苦しくともその先の明るい未来を描いた。

自分を高める場所を選んできた。「横浜で高いレベルの中で野球をやったことで自分も成長できた。アメリカの厳しい環境に身を置いて、もし160キロを投げる投手が隣にいたら、それを身近に感じ目指すことができる。自分を取り巻く高い環境が、成長させてくれる。高卒からすぐに行って吸収したい」。いつも口にする「直感」。ここと思ったら突き進む。1日でも早く世界の舞台で挑戦したい。強い意志が織田を突き動かした。

村田浩明監督(40)は織田の資質にも目を向ける。米国への興味を明かされたのは3月だった。「それなら、もっと結果を残さなければいけないぞ」と、厳しく指導。そこから誰もが認める成長を遂げた。「織田は将来、横浜の卒業生として世界で羽ばたいてほしいと感じるものがあった」。いつか世界の舞台で輝く織田の姿を思い描きながら、指揮官はマウンドに送った。

今の自分と向き合い、悩み苦しみ出した将来への道筋。これを正解にするために。力強く前へ踏み出していく。

◆織田翔希(おだ・しょうき)2008年(平20)6月3日生まれ、福岡・北九州市出身。同市の足立小1年で野球を始め、足立中では全国大会に出場。軟式球で143キロをマークした。横浜では1年春からベンチ入り。昨年センバツから4季連続で甲子園出場。昨年センバツでは全5試合に先発し優勝に貢献。同夏甲子園は8強入り。今夏は4強入りで高校日本代表入り。好きな言葉は「親孝行」。特技は体が柔らかいこと。186センチ、80キロ。右投げ右打ち。

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