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山田久志氏「実は…」張本勲さんに史上最高打率許したバント安打と直後のけん制死を語る


【写真】山田久志氏、張本勲氏(2012年7月撮影)

日刊スポーツ評論家の山田久志氏(78)が10日、9日に亡くなった張本勲さんを追悼した。

   ◇   ◇   ◇

張本勲さんは、わたしをプロ野球の世界で成長させてくれた1人だったかもしれません。張本さんがパ・リーグに在籍した東映、日拓、日本ハム、ロッテと、計8シーズンにわたって勝負をさせていただきました。

あれだけバットコントロールに優れた人はいません。グラウンドが広がる90度を存分に利用して広角に打ち返した。次に出てくるのはイチローですが、そのテクニックは、まさに“ザ・プロ”でした。

一番の思い出は、1970年(昭45)10月18日の東映戦(西宮)。大下弘さん(東急)が保持していた当時のシーズン歴代最高打率(3割8分3厘1毛)に「2毛差」に迫っていた張本さんが、私と対戦した最終の第5打席で更新したのです。

しかもその2球目、あれだけ右に、左にと打ちまくった人がセーフティーバントを繰り出した。わたしがそのゴロを蹴飛ばすうちに、一塁を駆け抜けると、派手にバンザイをして飛びはねて喜んでいました。

ただ打つだけでなく、足も速かったので、内野安打も多くて馬力があった。この一戦は5打数4安打で、当時の大下さんを上回る「3割8分3厘4毛」で、史上最高のヒットマンにのし上がりました。

実は、なんとなくバントを試みるのは、お互いに暗黙の了解のようなところがありました。だから一塁に出塁した張本さんは直後、わたしの牽制(けんせい)でアウトになってくれたのでしょう(笑い)。

のちに本人からうかがった話ですが、「山田の速球を打たないと阪急に勝てない」と徹底的に対策を練ったようです。わたしが左足を上げ、テイクバックから投げるまで、タイミングの取り方を研究したと。

シーズンを追うごとに打たれたのは、その努力の成果だったのでしょうか。張本さんが長嶋監督の巨人へ移籍した後は、76、77年の日本シリーズでも対戦。いずれも阪急ブレーブスが日本一になりましたが思い出は尽きません。

ただユニホームを脱ぐと、打撃の鬼は“別人”のようにやさしかった。根本にあるのは原爆体験で、それを涙ながらに語った姿は忘れられません。その生きざまともに、自身で打撃の「型」を作り上げた昭和の大打者でした。(日刊スポーツ評論家)

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