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ヤンマーで活躍の堀井美晴さんが72歳で死去 通夜にJ2岡山木山監督、C大阪森島会長らが弔問に


72歳で亡くなった堀井美晴さんの祭壇

サッカーの名門ヤンマー(現セレッソ大阪)の黄金期にFWとして活躍し、23日に72歳で亡くなった堀井美晴(ほりい・よしはる)さんの通夜が27日、兵庫県伊丹市で営まれ、多くの関係者が弔問に訪れた。

数カ月前に急に体調を崩し、病気療養中だった堀井さんは、23日午前4時47分、病院で息を引き取った。

静岡・藤枝市で生まれ、藤枝東から71年、ヤンマーに入団。87年の現役引退までに、日本リーグでは通算204試合46得点。日本代表として国際Cマッチにも出場した。

10日に釜本邦茂さんが81歳で亡くなったばかり。ヤンマーで14年近く一緒にプレーした堀井さんが、先輩の訃報を知った上で天国に旅立った。

ヤンマーで現役を引退後は、当時監督の吉村大志郎さん(享年56)の下でヘッドコーチを務め、スカウトも兼務。その後はガンバ大阪でコーチ、川崎フロンターレで監督、ジュビロ磐田でヘッドコーチを務め、京都大学などで学生も指導してきた。サッカー界を代表する社交的な性格で、多くの仲間から慕われた。

G大阪時代にコーチ、選手の関係だったファジアーノ岡山木山隆之監督(49)はこの日、岡山市内で練習を指揮し、日帰りで恩師に手を合わせにやってきた。

「私が当時、けがをした時も練習メニューに付き合っていただいた。本当にお世話になりました」

同じく現役時代、G大阪で指導を受けた大阪学院大監督の実好礼忠さん(52)は「当時、練習後に居残りで面倒を見てくれたコーチは、堀井さんだけでした」と、恩師の優しさを忘れていない。

この日、堀井さんにスカウトされてヤンマーに入団した現C大阪会長の森島寛晃さん(53)、C大阪に入団した西沢明訓さん(49)、ヤンマー監督やC大阪社長、Jリーグチェアマンも歴任した鬼武健二さん(85)ら、多くの関係者が堀井さんの人柄をしのんだ。

祭壇には日本サッカー協会宮本恒靖会長、岡田武史・元日本代表監督、サガン鳥栖小菊昭雄監督、川崎F大黒将志コーチら多くの供花が飾られていた。

◆堀井美晴(ほりい・よしはる)1953年(昭28)3月16日、静岡・藤枝市生まれ。FWで藤枝東高からヤンマー(現C大阪)入団。80年日本代表入り。引退後はコーチ、C大阪スカウトなどを経て、01年に当時J2川崎F監督就任。その後は滋賀・草津東高コーチ、神戸国際大監督、桑原隆監督の下で磐田ヘッドコーチ、川崎Fユース監督、京都大ヘッドコーチなど歴任。173センチ、65キロ。

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