
ドジャース大谷翔平投手(31)が、投手として完全復活に近づいている。その鍵を握る1人が、元バーテンダーで異色の経歴を持つコナー・マクギネス投手コーチ補佐(35)だ。メジャーやマイナーリーグに所属したことはなく、野球経験は大学まで。ワールドシリーズ制覇の夢を掲げ、19年末から現職に抜てきされてから2度、悲願を達成した。バーテンダーで培ったコミュニケーション力で、大谷とも効果的に対話を重ねる。2年連続世界一には投手力が欠かせない中、縁の下の力持ちとしてチームを支えている。(取材・構成=斎藤庸裕)
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大谷が腕を振る背後から、サングラスをかけ、スナイパーのようにじっと見守る。練習中に、口を挟むことはほとんどない。マクギネス投手コーチ補佐には、科学的には説明できない、何か感じるものがある。
「彼は試行錯誤を大事にし、見て、質問して、やってみて、体で覚えていくようなタイプ。メカニカル(投球動作の)リポートを確認して、まず自分で理解する。それから僕らの知識も踏まえ、やってみて、修正する。とても独特なんだ」
データ分析に優れ、動作解析で投手陣のフォーム修正に貢献してきた。「新しいテクノロジーの波に乗れた。ラッキーだったよ」。偶然にも合致した特技と時代の潮流。その上で、大事にする視点を力説した。
「選手が人間であることを見失ってはいけない。時には技術的な問題じゃなくて、単に寝不足かもしれない。だから、彼らがどういう人間なのかを学び、世界観を理解して、その中に入り込んで手助けするのが自分の役目でもあると思う」
波瀾(はらん)万丈、自ら「ワイルドな旅」と言う人生が、その価値観を形成している。24歳で、野球とは関係のないバーテンダーの仕事に就いた。「お金を稼ぐため」と笑ったが、今となっては、その経験が生きていると実感する。
「あらゆる人とコミュニケーションを取れるスキルが身についたよ。時には、望まなくても、無理にでも話さなきゃいけないことがある。それが、コーチングにすごく役立っていると思う。難しい話をいつ、どう伝えるか。正直に、それを伝える“タイミング”がものすごく大切なんだ」
そのコミュ術が、図らずも、二刀流で完全復活を目指している大谷との関係性を作る上でも効果的になっている。「彼は打者でもあるし、限られた時間の中で話さなきゃいけない。ショウヘイの場合は、心地よく、やりたいことができる環境を整えるのが一番。ボールを握れば、彼はあまり話したがらない。会話するなら、その前か後がいい。僕らは(ゴルフの)キャディーみたいな役割なんだ」。機械では感じられない空気感を、的確にくみ取っている。
大谷とは全く違う道を歩んできたが、夢は同じ、ワールドシリーズを制覇することだった。学生の頃、ド軍マイナーリーグで働く機会を得た。だが、コーチングとは関係のないイベント運営側で、球場のファンに質問する仕事で走り回った。球場に行く前に銀行に出向き、売り場のレジ用に25セントのコインをかき集めた。ビールのたるを準備し、フィールドの整備でも汗を流した。さらに、スポンサーの看板を壁に貼り付け、試合中はスコアボードの得点を手動で張り替えた。
大学院で理学修士の学位を得ながら大学野球のコーチを務めると、徐々に道は開いた。17年からド軍のマイナーリーグでコーチに就任。19年9月、マイナー組織から契約が更新されないと分かると、金融系の仕事を探し始めた。すると、フリードマン編成本部長、ゴームズGMらメジャーリーグの首脳陣から突然「試合を見に来てくれ」と声がかかった。実地面接だった。
“抜き打ちテスト”は4日間に渡った。首脳陣を始め医療スタッフ、コンディショニングコーチらとも面接。「合計で12時間くらい。筆記試験もあった」。さらに「ジョシュ・ドナルドソン(当時ブレーブスに所属していた右の強打者)をどう打ち取るか、5分でプレゼンテーションしてくれ」と、唐突に難問を突きつけられた。「合格するとは思っていなかった」。電話で採用を告げられ、バーテンダーの仕事から8年、ついに夢への扉が開いた。
19年12月、メジャーの投手コーチ補佐に就任。翌年、いきなりワールドシリーズ制覇に貢献した。道は違えど、チャレンジ精神と野球への情熱は、2度の右肘手術から投手として完全復活を目指す大谷と通じるものがある。
成功へのキーマンとして、大役を担っている同コーチは言った。「選手が夢をかなえて、チームや街が優勝する、その手助けになれるのは本当にやりがいがある」。次なる夢、2年連続のワールドシリーズ制覇へ。ともに挑戦を続ける。