
<パドレス5-0メッツ>◇30日(日本時間31日)◇ペトコパーク
【サンディエゴ(米カリフォルニア州)7月30日(日本時間同31日)=斎藤庸裕】パドレスのダルビッシュ有投手(38)が日米通算204勝目をマークし、黒田博樹氏(50)を抜いて単独1位に立った。メッツ戦に先発し7回を76球の省エネ投球で無四球、7奪三振の2安打無失点。球団アドバイザーの野茂英雄氏(56)にも後押しされ、リリースポイントを下げてサイドスロー気味に変えたことが奏功した。今季初勝利で、チームを5連勝に導いた。
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ダルビッシュが節目の勝利に胸をなで下ろしたのは、ほんの一瞬だったのかもしれない。単独トップとなる日米通算204勝。今季は右肘の炎症で出遅れ、5度目の登板で、ようやく初勝利を挙げた。「うれしい気持ちもありますけど、ここまで何もしてないので。うれしくない部分もあったりとか、複雑ですけれども、とりあえず今日の試合、(チームの)休みの前で7回まで行けたので、それは良かった」。個人の勝ちより、役割を全うできたことへの安心感を口にした。
日米でプロ20年目。探究心は尽きない。理想の投手像には「全然なってない」と断言。スピードや変化量を変幻自在に操り、多彩な球種で惑わせる。この日も狙い球を絞らせず、嫌がる打者を手玉にとったが「1つ1つの変化、いろんな球種を投げられるのは強みではありますけど、1個1個の球種をとった時に僕よりすごいピッチャーいっぱいいるので、まだ程遠い」。若い選手たちに慕われる一方で「自分が一番よかった時よりも、今の若い選手たちの方が上だなって思うことも多々あるので、ほんとに刺激になってます」と、謙虚に前を向いた。
後輩だけでなく、先人達の後押しもある。この日の登板では、腕のリリースポイントを思い切って下げた。前日、球団アドバイザーの野茂氏に意見を求めたという。「サイドスローっぽくしようと思ってて、不安はあったので。野茂さんに1回ビデオ見せて『どう思いますか』って。『ええやん』って言ってくれたんで、いけると」。背中を押され、自信が深まった。「たくさんアドバイスをいただけるので本当に感謝してます」。大先輩の親身な姿勢を身に染みながら、変化を恐れずに前進している。
あくなき探究心と同様、周囲への感謝も尽きない。「両親がやっぱり、生んでくれて、育ててくれて、両親が一番ですね。ずっと妻も支えてくれてますし、家族には本当に。その他にもいっぱいいるんですけど、あげると本当にキリがないので。それだけたくさんの方に支えられてきた」。その結果、204回、勝てた。「黒田さん、野茂さんのようなピッチャーではまだないと思うので、数字がどうとかじゃなくて、本質的に近づけるようにしていきたい」。
何よりも、チームの勝利を求める姿勢は変わらない。試合後のインタビューでは「日本の皆さんはドジャースに勝ってほしいと思ってると思うので、そこを僕たちがひっくり返したい気持ちはあるので。みんなで一丸となって頑張っていきたいです」とあらためて宣言した。目指すべき姿は、まだまだ先にある。
▼ダルビッシュが今季初勝利を挙げ、日米通算204勝目(日本93勝、米国111勝)。日米通算勝利で黒田博樹の203勝を抜く日本選手最多となった。渡米後13シーズンで勝利を記録し、日本選手最多記録を更新(2位は野茂英雄の11シーズン)。16年からの10年連続勝利は野茂の11年(95~05年)に次ぐ2位。
▼ダルビッシュは38歳11カ月。日本選手の最年長勝利は17年上原浩治(カブス)の42歳だが、上原は救援登板だった。39歳シーズンでの先発勝利は14年黒田に並ぶ最年長。黒田は39歳7カ月で先発勝利を記録している。
▼ダルビッシュが7回以上を投げて無失点は昨年5月19日ブレーブス戦以来。7回以上で無四死球は23年8月4日ドジャース戦以来2シーズンぶりとなった。
◆ダルビッシュ有(ゆう)1986年(昭61)8月16日、大阪府羽曳野市生まれ。東北高2年春から4季連続甲子園に出場し、2年夏準優勝、3年春の熊本工戦でノーヒットノーラン達成。04年ドラフト1巡目で日本ハム入団。06年に12勝で日本一に貢献。最優秀防御率2度、最多奪三振3度、リーグMVP2度、07年沢村賞。08年北京五輪代表、09、23年WBCで世界一。11年オフにポスティングシステムでレンジャーズ移籍。13年最多奪三振、カブス時代の20年に日本選手初の最多勝。21年から所属するパドレスとは42歳となる28年まで契約している。196センチ、100キロ。右投げ右打ち。妻はレスリング元世界女王の聖子さん。