
<奮闘1年目の夏:埼玉担当・山本佳央記者>
高校野球の地方大会が7月29日で終了した。日刊スポーツでは5人の新人記者が取材に奮闘。それぞれが体感した「1年目の夏」を振り返る。
◇ ◇ ◇
「甲子園のある夏」を存分に味わった。グラウンドで白球を追いかける選手たちはもちろん、高校野球に関わる全ての人たちがまぶしく見えた。私が高校3年の時は「甲子園のない夏」だった。世界中で猛威を振るった新型コロナウイルスの影響で、多くの全国大会が開催中止となった。競技は違えどスポーツに熱中した高校時代だったが、最後の夏は「こんなはずじゃなかった」と不完全燃焼に。だからこそ、この夏の光景がうらやましかった。
7月上旬、開智未来と不動岡(ともに埼玉)の練習試合に足を運んだ。「実は、この試合は藤本の引退試合なんです」。開智未来・伊東悠太監督(38)の言葉に驚いた。アンケートの「采配は、3年の藤本光輝が行う」という一文に興味があったからだ。
部員数は44人で、うち3年生は3人。3年生では藤本光輝内野手(3年)だけがメンバーから外れた。メンバー選考については何度も話し合いが行われたという。最終的に、目標の16強入りを達成するためにベストな20人が選ばれた。銭谷出海主将(3年)は「3年3人、一緒にグラウンドで戦いたかった」と葛藤を口にした。
引退試合後、藤本は充実した表情をしていた。小学4年から野球を始め、中学は卓球部に所属。「やっぱり野球がやりたい」と、高校で再び野球を始めた。開智未来では春の大会後、3年生を中心に「夏の大会で野球を通して、どんなことを伝えたいか」を考えるのが伝統になっている。伊東監督から「言われたことしかやらない。AIだ」と言われ続けてきた代が掲げたのは「主体性」だった。5、6月の試合は藤本が采配を振った。銭谷は「この代が体現したいことの基礎を築いてくれた」と感謝する。「正直、自分が番号をもらいたい。でも、チームの目標を達成することが大事。今の自分にできることを最大限やる」と話す藤本の姿が、今でも忘れられない。私自身、野球初心者なりに、高校野球の取材期間をもがいてみようと覚悟が決まった瞬間だった。
それぞれの立場で勝利のために全力を注ぐ選手たちと、それを支える人々。記事にできたのはその一端に過ぎず、自分の未熟さも痛感した。それでも、勝負することさえ許されなかった、不完全燃焼の夏とは違う。挑戦できたことを糧に、今後も記者というフィールドで戦っていきたい。【山本佳央】