
仙台育英が、東北地区最後の甲子園切符を手にした。東北学院榴ケ岡を10-0で破り、2年ぶり31度目の夏頂点に輝いた。途中出場の佐々木義恭(よしたか)主将(3年)が最後までチームを鼓舞。先発の吉川陽大(あきひろ)投手(3年)は7回3安打11奪三振無失点に抑えた。3投手による無失点リレーで、準優勝した23年以来の甲子園出場を決めた。
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日が落ちかけたマウンドに、仙台育英ナインが歓喜の輪をつくった。「最後まで」。10点リードの最終回、守備に就いた佐々木は左翼から声をかけ続けた。「点差が開くと油断してしまうと思ったので、誰か1人は締める役割が必要だと思いました」と主将の役割を全うした。27個目のアウトを取り、ようやく安堵(あんど)。「とにかく安心しかなくて。甲子園が決まった実感が湧いていません」と笑みがこぼれた。
涙のミーティングが実を結んだ。開幕の4日前。練習中の緩慢な動きに選手が集められた。
「このワンプレーで負けてしまう。昨年の悔しさを忘れたのか。甲子園に行きたいのは俺だけか」
須江航監督(42)が涙ながらに声を上げた。佐々木は「自分たちも、もちろん甲子園に行きたい気持ちはありましたが、それ以上に須江先生は昨年の負けに悔しさを持っていました」と振り返る。1年前は決勝で聖和学園に逆転負け。監督の訴えに、気づけば全員が涙を流していた。チームが1つになった瞬間だった。
佐々木は中学3年のとき、東北勢初の日本一となる甲子園優勝を見て仙台育英に進んだ。翌年の23年は準優勝。「仙台育英にいれば、甲子園で1勝、2勝くらいはできるのではないか」。簡単にたどり着ける場所だと思っていたが、間違いだった。2年春から3季連続で甲子園出場を逃し、気づけば聖地でプレーした選手はゼロになっていた。
だが、悔しい経験が視野を広げてくれた。「本当にばかみたいな考えでした。『いろいろなことを乗り越えてこその甲子園』ということに気づかされましたし、先輩方がつないできた伝統も大きいということを実感しました」。この1年、主将の責任感も重くのしかかった。「初めての甲子園で何も分かりませんが、わくわくしています」。ようやく手にした最初で最後の大舞台をかみしめる。【木村有優】
◆仙台育英 1905年(明38)創立の私立校。生徒数は4115人(女子2034人)。全日制は特別進学コース、外国語コースなどがある。野球部は30年創部で部員は76人。甲子園出場は春15度、夏31度目。22年夏に春夏通じ東北勢初優勝。主な卒業生は日本ハム郡司裕也、西武平沢大河ら。仙台市宮城野区宮城野2の4の1。加藤雄彦校長。