
<真夏のライラック:日大鶴ケ丘(西東京)・小林駿斗投手(3年)>
<高校野球西東京大会:国士舘5-4日大鶴ケ丘>◇22日◇5回戦◇府中市民球場
うまく言葉で伝えられなくても、仲間の支えを受け、右腕で表現してきた。話し言葉が滑らかに出ない、吃音(きつおん)症と向き合いながら白球を追った。
小学生の頃、「突然、言いたいことが伝えられなくなった」。グラウンドや試合では症状は出なかったが、日常生活でつまずいた。授業中、1対1の面接、大人数のミーティング…。症状もいつ出るかが分からないため「伝えられなかったことが多くて、自分でも訳が分からなくなった」。父八起さん(52)は「責任感が強いのか、緊張強いで人前に立った途端、1分ぐらい固まってしまったこともあった」と振り返る。
それでも、主力投手に成長できたのは、仲間のおかげ。「自分の言いたいことを代わりに言ってくれたり…。それがありがたかった」。小林自身も授業用の教科書を自主的にゆっくり音読するなど克服に向け、前向きに努力を重ねている。
今大会は全3試合で先発を託されたが、この日は2回1/3、2失点で無念の降板。しかし、エースの住日翔夢投手(3年)がマウンドに上がると、小林の口からすっと言葉が出た。
「お前のピッチングをして来い」
試合後はあふれる涙が止まらなかったが、1つ1つの言葉を絞り出した。
「みんなが優しく寄り添ってくれたおかげで野球を3年間やれた。かけがえのない仲間に『ありがとう』と伝えたい」【泉光太郎】