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【西武】かつての「激戦区」で育った与座海人が戦後80年に思うこと 1日地元沖縄で里帰り先発


西武の与座海人投手(29)は、沖縄の戦争の歴史と平和への願いを胸に抱いています。彼は幼少期に浦添市の坂を登り、戦争の痕跡を感じながら育ちました。彼の実家は普天間基地の近くで、飛行機の振動を日常的に感じていました。平和な時代に生まれながらも、戦争の影響を肌で感じています。オリックス戦での里帰り登板を控え、彼は一軍投手として地元で野球ができることを喜び、平和への思いを伝え続ける決意を持っています。広島の戦争映像を見ながら、現在の国際紛争にも思いを馳せ、戦後80年を迎えた今年も、彼は戦争の記憶と平和の大切さを発信したいと考えています。

沖縄出身の西武与座とシーサー(撮影・金子真仁)

<We love baseball>

小学校の時にみんなで学校裏の坂を上った。西武の与座海人投手(29)はよく覚えている。目的地は浦添城跡だ。「今で焼き付いているのは、城跡に弾痕が残ってるんです。今の時代じゃ、絶対にありえないですよね」。そう話す。

沖縄・浦添市で育った。「前田っていう場所で。沖縄で地上戦があった時に最大の激戦区と言われた場所です」。北谷付近から米軍は上陸したとされ、前田の丘が防衛線となった。語り継がれることも多い。「テレビでは流せないような映像もあったり」。

平和な時代に生まれ、でもそれがちょっとしたことで崩れることも感じながら育った。2年前、与座に聞いた話は今も鮮明だ。

「僕の実家の上、普天間基地に飛行機が降りていくルートなんです。高台なので、ほとんどスレスレを飛んでいく感じで。オスプレイも飛んでいて。震動でテレビがグラグラしたりすること、ありますよ」

そういえば与座は当時から「ロシアとウクライナの戦争の映像を見てると、うーん…って何とも言えない苦しい気持ちになることはあります」と話していた。2年が過ぎ、今年も7月1日、オリックス戦(那覇)で里帰り登板する。でも異国の争いは鎮まらぬまま。

日本は太平洋戦争に敗れた。今年で戦後80年。まずは何よりも家族や友人が見守る中、地元でプロ野球の1軍投手として投げられることがうれしい。「帰ってきたな、って感じです。独特の雰囲気とかにおいとか」。その上で、1人の沖縄育ちとして。「平和への願い、人の命の尊さ。僕にできることは少ないかもしれないですけど、節目節目で発信できればいいなとは思いますね」。そんなマウンドにもなる。【金子真仁】

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