
3日に89歳で死去した巨人長嶋茂雄終身名誉監督の通夜が7日、告別式は8日に都内の桐ケ谷斎場で執り行われた。喪主は次女・三奈さん(57)、葬儀委員長は読売新聞グループ本社代表取締役社長で読売巨人軍取締役オーナーの山口寿一氏(68)が務めた。
弔辞は通夜は元巨人の堀内恒夫氏(77)、前巨人監督の原辰徳氏(66)。告別式では元巨人のソフトバンク王貞治球団会長(85)、元巨人の中畑清氏(71)、元巨人でヤンキースGM付特別アドバイザーの松井秀喜氏(50)が読み上げた。
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堀内氏は選手同士だった現役時代に長嶋さんに結婚式のスピーチをしてもらった話を披露。「選手と選手が結婚式の仲人をするなんてことは稀なんです。それを長嶋さんが快く引き受けていただいてやりました。でも、大変なことになりましてですね。私の質問よりか、長嶋さんと奥様の方に質問が集中して、誰の結婚式なんだっていうような、慌てたこともたくさんありました」と語った。
原氏は「4番サード長嶋」の響きに憧れて、九州で生まれ育ったことを回顧。4球団競合で巨人入団が決まった直後、自宅に電話があったという。「おふくろが出たのですが『長嶋さんからよ』と血相を変えて伝えてきました。その年、長嶋さんは監督をお辞めになって、立場的にも難しい状況だったと思いますが、なんと広い視野で野球を捉え、巨人を愛している方なのだろうと思いました」と語った。
王氏は入団時にキャンプで同室だったが、部屋の片付けなどができず、寝相の悪さやいびきで1週間で部屋を変えられたエピソードを披露。「長嶋さんは超普通の人でした。私に普通人として接してくれました。長嶋さんには頭が上がりませんでした。足を向けて寝られない人でした。そんな大恩人」と言った。
中畑氏は地獄の「伊東キャンプ」を回顧。苦しんだ坂のダッシュを当時監督だった長嶋さんが挑んだという。「もう息絶え絶え。ケツ割れして、子供がうんこ漏らしたようなそんな感じで、ヘタヘタになって帰ってくる。雲の上にいた監督長嶋茂雄が、我々のところまで降りてきてくれたのかなという感情を持ちました」と懐かしんだ。
松井氏は「1000日計画」で毎日長嶋さんとの素振りを欠かさなかった。「今度は、私が監督を逃がしません。ですから、今日は『ありがとうございました』も、『さようなら』も、私は言いません。今後も引き続き、よろしくお願いします。そして、その強烈な光で、ジャイアンツの未来を、日本の野球の未来を照らし続けてください」と締めくくった。