
「私と長嶋さん」<3>
長嶋茂雄さんは多くのファンに愛されました。それぞれの人たちが心に抱く、長嶋さんの思い出を紹介します。
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緑豊かな森に、静かにたたずんでいる。京成佐倉駅から徒歩約25分。田んぼと深緑の木々を眺めながら歩を進めると、右手に「長嶋茂雄記念岩名球場」と書かれた大きなバックスクリーンが目に入る。平日の昼間にもかかわらず、数人が同じ方向へ歩いていた。目指す先は同じ。球場正面に設置された記帳台だった。
3日、巨人終身名誉監督の長嶋茂雄さんが逝去されると、生まれ故郷の佐倉市HPなどで記帳台設置が発表され、市民やファンが次々と詰めかけた。6日昼までに700人以上が記帳。球場内の展示室(記念館)も熱心に見学。球場関係者は「試合開催日でもないのにこんなに人が来られるのは今までにない」と驚いた。「地元からこういう人が生まれたのは誇りです」(佐倉市・78歳男性)「遊び心があって、いつも楽しそうだった」(佐倉市・春木晴夫さん・78歳男性)「もう少し生きてほしかった。これだけの功績は素晴らしい」(市原市・泉忠男さん・77歳)。ゆかりの地で故人をしのんだ。
長嶋さんの母校・佐倉高(当時は佐倉一)で24年まで監督を務めた堀内幹仁氏(67)は、偉大なOBの若き日を思い描きながら指導した。「グラウンドに隣接する校舎を越える打球を打った伝説がある。ゆうに130メートル以上の打球。昔の飛ばないバットとボール。そりゃあすごいですよ」。たびたび年配の方がグラウンドを訪れ「ここが長嶋さんが練習をしたグラウンドか」と、感慨深く眺める姿に「いつかは甲子園へ」と指導にも熱が入ったという。
長嶋さんは晩年、野球の普及にも尽力された。14年からは毎年「長嶋茂雄野球教室」を開催。西田三十五佐倉市長は「佐倉市では長年にわたり少年野球教室を開催し、多くの野球少年たちへ技術と情熱を伝えてくださいました。長嶋氏の偉業と精神を永遠にたたえ、次世代へと受け継いでまいります」とコメントを発表(一部抜粋)。これからも、長嶋さんの野球普及への熱い思いを、生まれ故郷、佐倉市が引き継いでいく。【保坂淑子】※球場の記帳台は7月3日まで設置。展示室も同日まで毎日公開。
(「私と長嶋さん」は今後も随時掲載します)