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【日本ハム】木田GM代行「この人、やっぱり宇宙人なんだ」数々の思い出明かし長嶋茂雄氏を悼む


日本ハムGM代行の木田優夫氏は、肺炎により89歳で逝去した巨人の終身名誉監督、長嶋茂雄氏を追悼。木田氏は長嶋監督の下で5年間プレーし、多くの思い出があると語った。「一番はもうほんとに、もう1回会いたかったな、話したかったな」と述べ、長嶋監督によく怒られていたエピソードも披露した。最後に長嶋氏と会ったのは2022年から2023年の間で、その時も挨拶のみだったことを悔やんでいる。しかし、木田氏は長嶋氏が彼の名前を覚えていてくれたことやテレビでの活動を気にかけていたことに感謝の意を示し、「あんなすごい人と野球ができたのは貴重な時間だった」と振り返った。

日本ハム木田優夫氏(2020年2月1日)

日本ハム木田優夫GM代行(56)が3日、肺炎のため89歳で亡くなった巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏を悼んだ。

長嶋氏が巨人で2度目の監督を務めた93年からオリックスへトレード移籍した前年の97年までの5年間、長嶋監督のもとでプレーした木田GM代行は「ほんとに非常に残念で。たくさんの思い出がありますし、ただ最近ほんとになかなかお会いできていなかったんで、ほんとに今日朝知って、一番はもうほんとに、もう1回会いたかったな、話したかったなってのいうが一番です」と話した。

長嶋氏との一番の思い出を問われた木田GM代行は「いっぱいあって…いろんな思い出があって、その、どっちかっていうと、ほんとによく怒られてたんで。節目でいろいろ」と当時のエピソードをいくつか明かした。

「(93年に)神宮で投げていて、隣(の国立競技場)でJリーグが開幕した日に負けて『こんな大事な日に…』みたいに言われた時もあった」

「怒られた時に、最後に『お前は俺の言うこと聞いてれば大丈夫だから。俺は全部わかる。俺は宇宙人なんだから』って言って出て行った時に『この人、やっぱり宇宙人なんだ』って思った(笑い)」。

最後に長嶋氏と会ったのは22年から23年まで日本ハム2軍監督を務めていたときだった。「ファーム監督やってる時に、ジャイアンツ球場で練習視察に来られた時にちょっとあいさつしたのが最後。ジャイアンツの練習中で、こっちも試合前の練習の準備しないといけないってことだったんで、ほんとにあいさつ程度で。逆に言ったら、まだまだね、お会いするチャンスあると思って、その時はあいさつだけだったし…そうですね、でも…そうだな、その時…」とあいさつだけで終わったことを悔やんだ。

それでも「ただ…」と切り出した木田GM代行は言葉を続けた。「よく長嶋さんは人の名前を覚えないとかっていうエピソードがいっぱいあるけど、今日ずっといろんなこと考えて思い出したら、まだ1軍に上がる前に長嶋さんが解説で宮崎キャンプに来られて、たまたま球場の入り口で会ってあいさつしたら、逆に長嶋さんの方から『おー、木田君』って言われて。もうその時から名前を覚えてもらってたなと思って。独立リーグの石川に行ってる時に宮崎キャンプへちょっと行った時に長嶋さんもちょうど来られていて話した時には『そういえば、お前最近、朝のテレビ出てないか』って言われて。ちょうどテレ朝でレギュラー番組を持って毎週出ていた時だったんで、そんなのを見てくれているんだって(驚いた)。そうやって考えたら、ほんとに最初から名前を覚えてもらって何十年たった時でもそうやってテレビで見て気にかけてくれていたっていうのは、やっぱり本当うれしいです。あんなすごい人と同じ時間を過ごして一緒に野球できたっていうのは、貴重な時間だったなと今、思ってます」と感謝しながら振り返った。

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