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高田繁氏「長嶋さんのおかげで、完全燃焼で幸せな野球人生」長嶋茂雄さんから三塁コンバート打診


巨人軍の終身名誉監督である長嶋茂雄さんが89歳で肺炎のため亡くなりました。元V9メンバーで、長嶋さんとともにプレーした高田繁氏は、長嶋さんとの思い出を振り返りました。特に1975年のオフに外野手から三塁手へのコンバートを提案されたことが印象に残っていると語りました。当時、チームは最下位に沈んでおり、高田氏も苦しいシーズンを送っていましたが、長嶋さんの指導のおかげで翌シーズンに大きく成長しました。長嶋さんのおかげで充実した選手生活が送れたと感謝し、彼が日本球界にもたらした影響を讃えました。

高田繁氏(左)に打撃指導をする長嶋茂雄監督

巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんが、3日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で亡くなった。89歳だった。

V9メンバーとしてともにプレーし、監督と選手としてもともに戦った高田繁氏(79)は、かみしめるように長嶋さんとの思い出を振り返った。

真っ先に思い出されるのは長嶋監督1年目、1975年のオフに告げられた外野手から三塁手へのコンバートだった。「張本(勲)さんが移籍して加わることになって。トレードを覚悟していた」。しかし、監督宅で伝えられたのは「トレードはない。三塁をやってみないか」というまさかの打診だった。

高田氏 普通なら、俺は(内野手と)トレードだよ。でもそうじゃなかった。長嶋さんでなかったら、できない発想。自分が「これが正しい」と思ったことを、行動に移す。思い切りの良さっいうのか…、言葉で言うほど簡単じゃない。

1975年はチームは球団創設以来初の最下位に沈み、高田氏自身も打率2割前半と苦しんだシーズンだった。

高田氏 貢献できなかった申し訳なさがある中で、もう後がないところに持っていかれたけど、もうやるしかない。長嶋さんも、最下位から必死にチームを立て直そうと、おそらく一番大変な時期だったと思うんだけど、本当にノックをしてくれた。そのおかげで、三塁手として貢献できるようになった。

翌76年、チームは前年最下位からリーグ優勝を決めた。高田氏も正三塁手を担い、打率もキャリアハイの3割5厘を残した。

高田氏 長嶋さんがいなかったら(現役最後の)5年間、どうなっていたか分からない。長嶋さんのおかげで、完全燃焼で幸せな野球人生を締めくくることができた。

最後に会ったのは、昨年11月に東京ドームで行われた球団創設90周年記念セレモニーだった。

高田氏 あいさつをさせて頂いて。お元気そうな姿を見ていたから…。本当に、常にファンにどうしたら楽しんでもらえるか、喜んでもらえるかを考えている方だった。日本球界にとって恩人であり、本当に大きな存在です。

感謝の言葉で、ミスタープロ野球をしのんだ。

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