
プロ野球の巨人の監督を2期15年にわたって務めた巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんが、3日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で亡くなった。89歳だった。
巨人前監督の原辰徳氏(66)が都内で報道陣に対応。長嶋氏との思い出などを語り、悼んだ。
一問一答は次の通り。
-一報を聞いて
もう、そうですね。もう、現実を受け止めるということで、びっくりしたっていうのはありましたけれども。やはり、こういう日がくるんだなということは思いました。
-原さんが最後に長嶋さんとお会いしたのは
最後は(今年3月の)ドジャース-ジャイアンツで、東京ドームで試合の時に長嶋さんがお越しになって。私もたまたまそこにいましたんで、そこでごあいさつしました。
-その時の様子は
やっぱり球場に来られると非常に元気で、我々にも気をつかってくださるようなね。そういういつもと変わらぬお姿でした。
-監督しても選手としても関わりがあった
私にとってもう憧れの、もう少年時代から憧れでした。野球というスポーツのみならず、まさに象徴だったと思います。勝負に厳しく、人に優しく、皆さんに愛された。特に私は、憧れの中でジャイアンツに入り、選手、そしてコーチ、監督というその立場でも深く影響を受け、一緒にいられたというのは、私の中でも大きな、燦(さん)然と輝くことであります。現実としてしっかりと受け止めて、そしていい形でお送りしたいという風に思います。
-一番の思い出は
いろいろあるんですけど、ただ1つ、自分の中で、僕は22歳で、東海大学からドラフトで、当時長嶋監督がお辞めになった年で、藤田監督が私を引いてくださった。で、私の巨人軍に入りたいっていうね、それ(意思)はすごく強かったんで、その時に夜にですね、自宅に電話をくださって、なんと「長嶋茂雄です」という形でね。巨人軍に君が入るっていうことはとてもよかったって喜んでくださって、電話をしてくださいました。
立場的な部分で言うならば、非常に、なんていうか、非常に難しい状況だったと思うんですが。とてもやっぱり広い視野の中で、野球、そしてプロ野球、全てのことを思われてる方なんだなと。その言葉が私の中では大きな自信となって、プロ野球、巨人軍のユニホームを着ることができたという、これは非常に大きな思い出というか、やっぱり私の財産であります。
-プロ野球界にとって長嶋茂雄さんとは
いろんな先輩の方がいらっしゃるでしょうけれども、やっぱり燦然と輝く、やはり野球界の象徴であると。私にとっては神様みたいな存在でありました。