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長嶋茂雄さん、代名詞「3」日に「89」歳で死去 SNS「最後まで長嶋茂雄」「ミスターらしい」


巨人軍終身名誉監督である長嶋茂雄氏が、享年89で肺炎により都内の病院で亡くなりました。長嶋氏の訃報がSNSを通じて広がり、「ミスター」に憧れて野球を始めた人々を含む多くのファンが彼の死を悼む声を発しています。長嶋茂雄氏は、「ミスター・ジャイアンツ」として非常に大きな影響を持つスーパースターでした。彼は現役時代に数々のタイトルを獲得し、巨人の選手や監督として長い間球界を支え続けました。特に、「ON砲」として王貞治とのコンビでの活躍が知られています。最後まで長嶋氏らしい「役者ぶり」が見えたと、89歳で亡くなった日にちが彼の背番号3と合わせてファンの間で語られています。

長嶋茂雄氏(2019年9月27日撮影)

巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏(享年89)が3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で亡くなった。SNS上では、「ミスター」を悼む声が続々とあがった。

突然の訃報に、日本中に悲しみが広がった。「ミスターに憧れて野球を始めました」「言葉が出ません…」「心よりご冥福をお祈り致します」などの声が相次いだ。

悲しみの一方で、最後まで見せた“役者”ぶりにも驚きの投稿が見られた。現役時代の代名詞で、巨人の永久欠番である「3」日に、「野球」とも読める「89」歳でこの世を去った。SNS上では「最後まで長嶋茂雄」「ミスターらしい」「ありがとう長嶋茂雄さん」などの声が相次いだ。

◆長嶋茂雄(ながしま・しげお)1936年(昭11)2月20日、千葉県印旛郡臼井町(現佐倉市)生まれ。佐倉一高(現佐倉高)から立大に進学。杉浦、本屋敷らと黄金時代を築き、首位打者2度。当時の東京6大学新記録となる通算8本塁打を放った。

巨人入団1年目の58年に打率3割5厘、29本塁打、92打点で本塁打王、打点王に輝き新人王に。59年6月25日の天覧試合(対阪神)では同点本塁打とサヨナラ本塁打。王貞治との「ON砲」で65~73年の巨人V9を支えた。74年に現役引退するまでMVP5度、首位打者6度、本塁打王2度、打点王5度を獲得し、「ミスター・ジャイアンツ」として球界最大のスーパースターとなった。

巨人監督に就任した75年は球団初の最下位。監督は75~80年、93~01年の計15年務め、リーグ優勝5度(76、77、94、96、00年)、日本一2度(94、00年)。アテネ五輪日本代表監督として03年のアジア予選は3戦全勝で五輪出場を決めたが、04年の本戦では病気のため指揮を執ることができなかった。

88年野球殿堂入り。現役時代は178センチ、76キロ、右投げ右打ち。家族は故亜希子夫人(07年9月18日、64歳で死去)との間に長男一茂さん(元プロ野球選手)長女有希さん、次女三奈さん(フリーアナウンサー)次男正興さんをもうけた。

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