
プロ野球の巨人の監督を2期15年にわたって務めた巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんが、3日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で亡くなった。89歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで行うという。
長嶋茂雄氏の足跡
◆1936年2月20日 千葉県印旛郡臼井町(現佐倉市)に4人きょうだいの末っ子として生まれる。
◆48年4月 佐倉中学入学。1番ショート。
◆51年4月 佐倉一高(現佐倉高)入学。3年時は4番サードで主将。
◆54年4月 立大経済学部経済学科入学。杉浦忠らと野球部入部。
◆55年9月10日 早大・木村投手から東京6大学リーグで初本塁打。
◆57年11月3日 慶大・林投手から東京6大学連盟新記録となる通算8号本塁打。
◆同12月7日 巨人入団発表。契約金1800万円。背番号3。
◆58年4月5日 開幕戦デビュー。3番サードで出場し、金田(国鉄)に19球で4打席4三振。
◆同4月10日 権藤(大洋)からプロ初アーチ。開幕から22打席目。
◆同10月23日 1年目の公式戦終了。本塁打王(29本)、打点王(92打点)で新人王。
◆59年6月25日 天覧試合で村山(阪神)からプロ初のサヨナラ本塁打。
◆同10月22日 打率3割3分4厘で初の首位打者。
◆60年4月26日 大洋1回戦で初のONコンビ誕生(3番王、4番長嶋)。
◆同10月6日 2年連続首位打者獲得。
◆61年10月18日 3度目の首位打者、2度目の本塁打王。初のMVPに輝く。
◆63年11月4日 日本シリーズで初のMVP。
◆64年6月20日 金田(国鉄)から通算1000安打。
◆65年1月26日 渋谷区の教会で五輪コンパニオンだった西村亜希子さんと結婚。
◆66年1月26日 結婚記念日に長男一茂誕生。
◆同10月12日 3年ぶり5度目の首位打者。
◆68年4月6日 開幕戦では初のONアベック本塁打。
◆69年10月12日 自己最長の21試合連続安打。
◆70年11月2日 ロッテとの日本シリーズで3打席連続を含む4本塁打。
◆71年5月25日 史上5人目の通算2000安打(ヤクルト戦)。
◆72年6月22日 史上3人目の通算400本塁打(中日戦)。
◆74年6月19日 公式戦初の1番打者(中日戦)。
◆同10月12日 巨人V10ならず引退表明。
◆同10月14日 現役最後となる通算444本目の本塁打(中日戦)。感動の引退セレモニーで「わが巨人軍は永久に不滅です」。
◆同10月21日 背番号3が永久欠番に。
◆75年 背番号90で巨人監督就任。1年目は球団初の最下位。
◆76年 前年最下位から優勝果たす。
◆80年 第1次政権6年目。3年連続で優勝を逃し、監督辞任。
◆82年7月 大リーグのオールスターで始球式。
◆同9月 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世にお目にかかる。
◆88年2月 野球殿堂入り。
◆92年11月21日 ドラフト会議で4球団が競合した松井(星稜)を抽選で引き当てる。
◆93年 背番号33で第2次長嶋政権スタート。1年目は3位。
◆94年10月8日 中日と史上初の同率首位決戦を制し優勝。日本シリーズでは西武を4勝2敗で下し、監督として初の日本一。正力賞受賞。
◆96年10月6日 最大11・5ゲーム差をはね返す大逆転の「メークドラマ」でリーグV。
◆98年8月 ガルベスが審判にボールを投げつけ出場停止処分。これを受けて頭を丸める。
◆00年 栄光の背番号3が復活。9月24日中日戦の9回裏に江藤の同点満塁弾、二岡のサヨナラ弾で劇的なリーグV。ダイエー王監督との「ON対決」となった日本シリーズを4勝2敗で制す。
◆01年9月28日 電撃的に監督退任発表。
◆02年12月2日 アテネ五輪を目指す日本代表監督に就任。
◆03年11月7日 札幌ドームで行われた五輪アジア予選を3戦全勝で突破し、五輪出場権を獲得。
◆04年3月4日 自宅で体調不良を訴え、都内の病院に緊急入院。
◆同5日 医師団が「中程度の脳梗塞」と発表。
◆同8月2日 アテネ五輪行きを断念。
◆07年2月16日 脳梗塞になった後、初めて巨人の宮崎キャンプを視察。「絶対勝つ。勝つ、勝つ、勝つ!」とあいさつ。
◆同6月8日 巨人通算5000勝記念イベントで、発病後初めて東京ドームのグラウンドに立つ。
◆同9月18日 亜希子夫人が急死。
◆13年5月5日 国民栄誉賞を松井と同時受賞。東京ドームで行われた授賞式では始球式が行われ、松井が投げ、原監督が捕手。安倍首相が球審を務める中、片手でスイング。
◆同7月12日 千葉・佐倉市の市民栄誉賞を受賞。同市の岩名球場が「長嶋茂雄記念岩名球場」に名称を変更。
◆14年7月5日 巨人-中日戦の試合前に金田正一氏と1打席限定で対決し、遊ゴロ。
◆16年1月11日 名球会のイベントで行われた対抗戦の試合前に、打者として投手・王貞治と対戦。4球目を打って遊ゴロ。
◆18年2月10日 巨人vsホークスOB戦に総監督としてベンチ入りし、03年アテネ五輪予選以来の“指揮”。
◆同7月 体調が優れず、大事をとって入院。検査で胆石が見つかり、入院したまま治療を継続。
◆同12月 退院し、自宅でリハビリ、トレーニング。
◆19年4月2日 胆石での入院後では初めて巨人戦を生観戦。
◆19年9月27日 巨人の本拠地最終戦を観戦。原監督、阿部の出迎えに感動。
◆20年1月21日 金田正一さんのお別れの会に出席。
◆21年3月2日 東京ドームでの全体練習にサプライズ訪問。ルーキー秋広にパワー注入。
◆21年3月26日 前年9月以来の東京ドームでの試合観戦。途中で球場を後にするも大喜び。
◆21年5月16日 東京ドームで伝統の一戦を観戦。電光掲示板に姿が映し出されると、スタンドからは大きな拍手。
◆21年6月6日 右手親指骨折で離脱していた坂本の復帰戦(2軍ジャイアンツ球場)をサプライズ訪問。試合前に「勝つ勝つ勝ーつ!」の訓示後に直接、打撃指導。
◆21年7月23日 東京五輪の開会式に、王貞治氏、松井秀喜氏と聖火ランナーとして登場。アテネで立つことができなかった五輪の夢舞台に立った。
◆21年8月22日 東京ドームを訪れ、無償トレードで巨人に移籍してきた中田を激励。ミスターの見守る前で中田が2ランを放つ。
◆21年10月26日 野球界から初の文化勲章を受章。
◆21年11月3日 皇居宮殿での文化勲章親授式に参加。黒縁眼鏡にモーニング姿で車いすに座って出席。陛下から声を掛けられ、車いすに座ったまま勲章を受け取り深々と頭を下げた。
◆22年3月25日 東京ドームでの開幕戦・中日戦前に文化勲章受章の祝賀セレモニーに参加。原監督、立浪監督から花束を贈られる。
◆22年6月3日 ロッテとの交流戦前に佐々木朗希と対面。今後の日本球界を担う右腕と握手をかわした。
◆22年8月20日 東京ドームで阪神戦を観戦も、チームは敗戦。2年連続の阪神戦負け越しが決まる。
◆23年11月23日 「ジャイアンツ・ファンフェスタ 2023」で東京ドームに登場。マイクを握り「来年は絶対に勝とう! 勝つ、勝つ、勝~つ!」と3万9527人が集まった球場にとどろかせた。