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【長嶋茂雄氏の記録メモ】デビューは4三振、天覧試合で1発、ONアベック、幻の本塁打


プロ野球界の名誉監督、長嶋茂雄氏が89歳で逝去しました。彼のデビュー戦は1958年4月5日の国鉄戦で、金田正一投手相手に4打席4三振を喫しましたが、その後の通算成績では打率3割1分3厘を記録。その年には本塁打と打点のタイトルを獲得し、史上唯一の新人で2冠を達成しました。59年の天覧試合でのサヨナラ本塁打や、首位打者6回、リーグ最多安打10回、通算2471安打などの記録を持つスーパースターでした。特に開幕戦本塁打10本や、王貞治との106回のアベック本塁打が彼の人気を不動のものにしました。

58年セ・リーグ開幕戦に3番サードでスタメン出場をはたしたが国鉄金田正一(手前)に4打席4三振と手玉に取られてしまった巨人長嶋茂雄氏(1958年4月5日)

ミスタープロ野球、長嶋茂雄巨人終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で死去した。89歳だった。

長嶋茂雄氏の記録メモ

◆デビューは4三振 58年4月5日国鉄戦(後楽園)でデビュー。金田投手と4打席対戦し、バットに当たったファウルが1球あっただけの4打席4三振。デビュー戦は抑えられたが、対金田の通算成績は打率3割1分3厘で18本塁打。金田からの1発は村山(阪神)の21本に次いで2番目に多かった。

◆4番で1460試合出場 1年目の58年8月6日広島戦(広島)で初めて4番に座り、いきなり本塁打をマークした。2186試合のうち4番で1460試合に出場。巨人では川上の1658試合に次いで4番出場が多く、現役最後の74年10月14日中日戦(後楽園)も4番で出場。

◆1年目に2冠 1年目の58年に本塁打と打点のタイトルを獲得。新人の本塁打王は4人いるが、新人の打点王は長嶋氏だけ。新人で2冠も長嶋氏しかいない。打率が田宮(阪神)に次ぐ2位で、惜しくも新人3冠王を逃す。

◆天覧試合で1発 プロ野球初の天覧試合となった59年6月25日阪神戦(後楽園)で村山からサヨナラ本塁打。昭和天皇、皇后両陛下がご覧になった66年日米野球(全日本-ドジャース戦)でも1発を放ち、皇室がご観戦になられた試合で打率5割1分4厘、7本塁打の猛打。

◆首位打者6回 2年目の59年から3年連続で記録するなど、首位打者を6回獲得。張本(東映、日本ハム)イチロー(オリックス)の7回に次ぐ記録で、セ・リーグでは最多。

◆打率3割は11回 打率3割以上が歴代5位タイの11回(最多は張本の16回)。新人から4年連続で記録したが、入団4年連続3割は長嶋氏だけ。

◆3舞台で3割 大舞台に強く、オールスター通算打率が3割1分3厘で日本シリーズ通算は3割4分3厘。日本シリーズのMVP4回は最多記録だ。公式戦(4000打数以上)オールスター、日本シリーズの3舞台すべて打率3割は鈴木尚(横浜)と2人だけ。

◆最多安打は10回 リーグ最多安打10回はプロ野球記録。通算2471安打(歴代7位)は大学出身選手としては最多で、1708試合での2000安打到達は川上(巨人)の1646試合に次ぐ2番目のスピード記録。

◆幻の本塁打 プロ1年目の58年9月19日広島戦(後楽園)で一塁ベースを踏み損ねて本塁打を取り消されるプロ野球初の珍事(記録は投ゴロ)。58年は打率3割5厘、29本塁打、37盗塁だから、きっちりベースを踏んでいれば新人で「3割・30本塁打・30盗塁」を達成していた。

◆開幕戦本塁打は10本 70~74年に5年連続で開幕戦に本塁打。開幕戦アーチ通算10本は、門田(ダイエー)の9本を抑えて最多。

◆ONアベックは106回 王と同一試合でそろって本塁打したのは59年6月25日の天覧試合が最初で、通算106回を記録。もちろん、アベック本塁打の最多記録だ。2人の連続本塁打は29回あるが、長嶋→王が6回に対し王→長嶋は23回。「燃える男」らしく王に負けじと1発を打つケースが多かった。

◆悪球打ち 敬遠球に飛びついて打つこともしばしば。60年7月16日大洋戦(川崎)では権藤投手の敬遠球を大根切りで二塁打、64年4月18日大洋戦(下関)でも悪球に飛びつき三塁内野安打にしている。

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