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浅村栄斗2000本安打を渡辺久信氏が祝福「仲間を応援していなかったら…」4番誕生秘話明かす


楽天の浅村栄斗内野手が通算2000安打を達成し、平成生まれとして初の快挙を成し遂げた。入団当初、西武ではポジションの競争が激しく、監督の渡辺久信氏が浅村選手の才能を認めながらも、即戦力としての起用は躊躇されたという。しかし、ある試合で浅村選手が懲罰交代からベンチで大声を出して仲間を応援した姿に感銘を受け、翌日から4番打者として起用。それが浅村選手の転機となり、主力選手として成長するきっかけになったと渡辺氏は振り返る。

11年5月、ロッテ戦でソロ本塁打で勝利に貢献した西武浅村(右)は渡辺監督と勝利のタッチを交わす

<楽天-日本ハム>◇24日◇楽天モバイルパーク

楽天浅村栄斗内野手(34)が通算2000安打を達成した。平成生まれでは初の快挙となった。

08年ドラフト3位で西武に入団した。プロ入り時の監督である渡辺久信氏(59=日刊スポーツ客員評論家)がお祝いの言葉とともに、「4番浅村」誕生秘話を明かした。

  ◇  ◇  ◇

浅村、2000本安打おめでとう。プロ入りした時は俺は監督の立場だった。甲子園での映像は見た。西武のスカウト、浅村を指名候補リストから一度消していたと思う。肩があまり良くなかったから。でも甲子園で活躍して再浮上したのを覚えている。

1年目から実力的には1軍で使えると思ってた。でもその時はショートにもうナカジ(中島宏之)がいて、ナカジは途中交代するような選手でもないから、浅村を置いていても試合に出られない。だから2年目まではたまに1軍に上げて慣れさせて、またファームで打席数を増やして…みたいな感じだった。

広角に打てるのはもちろんだけど、広角に大きいのを打てるのが一番いいところ。一度、オフに体を大きくしすぎて失敗したかな。その年は初め、全然ダメだった。でも浅村に関しては間違いなく分岐点というか、転機の試合がある。

打点王を取った年の、横浜スタジアムでのDeNAとの交流戦(13年5月28日)かな。相手は(三浦)大輔だった。うちはああいう軟投派に弱かった。先行逃げ切りの僅少差の試合ってゲームプランを立てた。そうしたらショートの浅村が送球ミスをした。それで2回に1点取られて、これはもう1点もやれないなと他のコーチと話して。3回表の打席だけで浅村を下げた。

懲罰交代っていう気持ちはなかった。守りを固めたかっただけ。でも本人からしたら懲罰交代だったのかな。浅村はおとなしい。そんなに気持ちが表に出るタイプじゃない。その浅村が交代になってベンチの一番前に来て、俺の前で試合が終わるまでずーっと大声出してた。びっくりした。浅村ってこういうところもあるんだって。そういうタイプじゃないのに。

それで次の日、打順を決めようとなって。その年、外国人選手も何人かいたけれど、全然ダメだった。4番をどうしようって話になって。そこでコーチたちに「もう浅村4番でいいじゃん。昨日ベンチであれだけ声出してるし、えらい気合が入っていくんじゃないか」と提案した。前日は7番ショートだったけど、あえて4番ファーストで使ってみた。そうしたらしっかり2安打。当たりもいい。そこからもうずっと4番ファーストで。交流戦から絶対的なレギュラーに定着して、そこから110打点で打点王取った。

交代させられたあの試合でベンチであれだけ大声で仲間を応援していなかったら、俺は次の日、絶対に4番では使わなかった。あの試合、あの年が本当に浅村の転換点だったと思う。なんで大声出したのか、本人に聞いたことないけれど。

あの試合、プロ何年目だったんだろう。3年目かな。スマホで調べてみよう。「あさむらひでと」。こうやって声検索して、一発で浅村栄斗って出るようになった。普通は「栄」は「ひで」って読まないのに。これが一番すごいこと。そうか、プロ4年目だったか。あれから12年。浅村、本当におめでとう。(日刊スポーツ客員評論家)

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