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ヤクルト衣笠剛球団会長が死去 76歳 改革派で3度のV ポスティング容認で青木がメジャーへ


ヤクルトは、衣笠剛球団会長が7日に76歳で死去したことを発表しました。愛媛県出身の衣笠氏は、日大を卒業後、ヤクルト本社に入社し、広告業務に従事。2011年には球団社長兼オーナー代行となり、球団運営に革新をもたらしました。彼は練習施設の改善を推進し、球団方針を柔軟にすることで、選手にとって良好な環境を整えることに尽力しました。ポスティング移籍についても方針を変更し、青木選手の大リーグ移籍を迅速に許可しました。施設の改善や球団事務所の移転など、実質的な改革を行い、ヤクルトは15年、21年、22年に優勝を果たしました。彼のリーダーシップは、球団の発展に貢献しました。

ヤクルト衣笠剛球団会長(2023年11月撮影)

ヤクルトは10日、衣笠剛球団会長が7日に死去したことを発表した。

76歳だった。愛媛県大洲市出身。日大経済学部を卒業後、71年4月にヤクルト本社へ入社。広告業務に15年以上携わり、当時専務だった11年6月から球団社長兼オーナー代行に就任した。

就任時には「優勝のために全面的にバックアップしたい。2軍の練習場をもう少し使いやすいようにしたい」と施設面で改革路線にかじを切る方針を示していた。

決断力とスピード感を重視し、ヤクルトでプレーしやすい雰囲気をつくった第一人者でもあった。

それまで球団はポスティング移籍を一切認めない方針だったが、衣笠氏の就任後、方針を転換した。青木が大リーグ挑戦する際、入札額受諾を1時間で即決し、金額を直後に公表。翌日は休日だったが、落札球団がブルワーズと判明すると、即時発表を指示した。日本の報道を受けて地元米国メディアが報じるという、通常の逆現象が起きた。

ポスティングによる収入を目に見える形で残したい考えで、1軍クラブハウス改修、2軍の戸田球場改修、室内練習場新設を次々と決断した。

球団事務所をヤクルト本社がある新橋から神宮の徒歩圏内に移転した。

15年、21年、22年で3度の優勝を経験。23年11月には27年シーズンから2軍球場を茨城・守屋市に移転する基本協定締結を結んでいた。

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