マリナーズなどでメジャー通算3089安打を放ったイチロー氏(51=マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)の日本人初の米国野球殿堂入りに同氏の父、チチローこと鈴木宣之さん(82)が22日、愛知県豊山町の自宅前で会見した。史上2人目となる満票での選出を逃したが、日本の野球殿堂同様に引退後5年目での有資格初年度での選出。「そんな完全な人間はあるのか、という気持ちでおりましたので、どこか欠けていて、ちょうどいい。気が楽になりました。」と、二人三脚でプロ入りした息子が手にした栄誉を手放しで喜んだ。
息子が米国での栄光を手にしたが、父の口からは恩人たちへの感謝が口をついた。「有資格初年度に日米同時に(殿堂入りを)成就できたのはイチローファンの皆様方、関係者の方々にご支援、ご声援をいただいたおかげ。本当に御礼申し上げたい。ありがとうございました」。
豊山中学校時代のイチローは成績優秀だった。当時の校長の渡辺久和さんは、父とイチロー宛にはがきをしたため、名古屋市内の進学校へ推薦入学の話も進めていたという。また、愛工大名電の中村豪監督(当時)は、プロを目指すイチローを甲子園で燃え尽きないように気を配った育成を心がけてくれた。オリックス入団後に監督を務めた仰木彬さんは、スタメン起用、イチローへの登録名変更など宣之さんに電話で了承を取っていたことも明かした。
オリックス入団時に「品格ある野球人」としたため、イチローをプロへ送り出した。「子供のことはいつまでも心配で、これは親心です。かける言葉は、親としたら良かったな、の一言ですね」。地元のグラウンドで駆け回る息子の姿を思い出しながら、テレビ画面の奥で栄誉を受けるイチローを見つめた。【伊東大介】