特別表彰で殿堂入りの富沢宏哉氏(93)は左手を突き上げ、言った。「長生きできて良かったと思います」。健在時に選ばれた人では史上最高齢。博物館内の移動に車いすも提案されたが、固辞した。つえを突き、自分の足で歩いた。
35年の審判員人生で歴史の証人となった。59年の巨人対阪神の天覧試合は左翼の線審で、77年に巨人王がハンク・アーロンを抜く756号本塁打を放ったヤクルト戦は球審。78年の日本シリーズではヤクルト大杉の左翼ポール際の当たりを本塁打とし、阪急上田監督の猛抗議が1時間19分の中断を呼んだ。
日本野球機構(NPB)前審判長の友寄正人氏(66)は「本当に厳しい審判」だったと回顧する。若い頃、宿泊先を訪れ教えを請うた。ある日、ルールの質問に中途半端に答えたら「貴様、帰れ!」と怒鳴られた。夜中に歩いて帰らされたが、翌日には「申し訳なかった。ただ、審判は安易な答えをしてはいけない」と手紙をもらった。
歴代2位3775試合に出場。米国への審判留学の先駆けでもある。「93歳で、こんな幸せな日を迎えらるとは夢のようです」と喜びを語った。【古川真弥】
◆富沢宏哉(とみざわ・ひろや)1931年(昭6)7月25日生まれ、東京都出身。小金井高(現小金井工科)卒業。社会人野球の審判を経て、55年からセ・リーグ審判員。72年、米国アル・ソマーズ審判学校に自費留学。73年、「野球審判ガイドブック」を出版し、審判技術の普及・向上に努めた。80年、セ・リーグ審判部長に就き、審判員の米国留学制度を確立。在籍35年で歴代2位の通算3775試合に出場。90年からは野球規則委員、全日本軟式野球連盟顧問(審判技術担当)などを歴任した。