starthome-logo 無料ゲーム
starthome-logo

「名監督」に共通したのは“管理”…川上哲治イズムは近代野球の“原点”だった/寺尾で候


この記事は、プロ野球の名監督たちの指導哲学やその影響について述べたものである。川上哲治は、巨人で9年連続日本一を達成した偉業を持ち、その指導法は「管理野球」として知られる。川上の教えを受けた監督たちには、広岡達朗や森祇晶がいる。彼らは、それぞれが素晴らしい成績を残し、現代の野球における管理の重要性を示した。また、鶴岡一人監督も選手をうまく操縦することで知られ、その教えは野村克也にも尊敬されていた。さらに、阪神で日本一を達成した岡田彰布も川上イズムに触れ、その影響を受けたことを明かしている。これらの名将たちの姿勢や哲学がプロ野球の監督業に深く刻まれていることを記事は紹介している。

1985年4月16日、阪神対巨人1回戦 試合前、王貞治監督と話す本紙評論家の川上哲治氏(左)

<寺尾で候>

日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

     ◇      ◇     ◇

あまたの「監督」を現場で取材をしてきた。名将から学んだし、凡将にもついた。どの世界にもいえることだが、組織の成長はリーダーによって左右されることを実感してきた。

ただ会社と違って、たった一戦で勝ち負けがつく非情な世界。ちょうどつかの間の休息になるこの時期、プロ野球12人の監督は、新たなシーズンのビジョンを描く。その答えによってはクビがすげ替えられる。

日刊スポーツでは『監督』というタイトルの連載を続けてきた。ほとんど名監督が題材だが、共通したのは“管理”だった。強制的という意味合いでなく、強いリーダーシップをもってをけん引した。

例えば近鉄、オリックスで指揮をとった仰木彬は、いかにも“放任”のように語り継がれるが、なにもチームをフリーにしたわけではない。野武士軍団で育っただけに、ふるまいは豪快だが、独自の緻密なデータで選手を縛った。

続載した『監督』の題字は、川上哲治の直筆によるものだ。川上家から了承をとりつけた。巨人で9年連続リーグ優勝、9年連続日本一を達成。14シーズンの監督生活で11度の頂点に立った史上最強監督といえる。

川上が人生の夕日に差しかかった頃、直接お目にかかることが実現し、組織を束ねる術を、そして勝つためのチーム作りを聞き出す機会を得る幸運に恵まれた。それは記者冥利(みょうり)に尽きる日々でもあった。

川上がほどこした「管理野球」は、周囲からやり玉に上がった。しかし、理不尽な指導はないが、チームが緩むことに妥協はなかった。「管理というのは人を育てることにある」という強い信念があったからだ。

その川上野球を、ヤクルト、西武で管理を徹底した広岡達朗(リーグ優勝4度、日本一3度)、西武の黄金時代を築いた森祇晶(リーグ優勝8度、日本一6度)らが継承した。王貞治も「川上さんでなければV9はできなかった」という。

川上は「優勝という共通した目標に向かって集団を動かしていくのに、一定の約束ごとは必要です。役割が分業化する団体競技であればなおのことだ」という考えだった。

「部下や後輩を叱らない管理職は下を真剣に育てようという覇気にかけるのでしょう。部下に嫌われたくない、よく思われたいと思っているのかもしれません。また人を叱るには、人を使うことを自分自身が勉強しながらつかみとっていくしかない」

だから川上は自らも厳しく律した。岐阜の山奥にある真冬の正眼寺で、老師だった梶浦逸外のもと坐禅を組んだ。その禅寺には拙者も幾度となく足を運び、当時の雲水がする寺で修行をしてきた。その川上イズムを中日、阪神で星野仙一が実践するのだった。

管理主義は根性野球とは異なる。通算1773勝の史上最多勝利数を誇った南海ホークスで監督だった鶴岡一人も、「親分」を称されたように軍隊のイメージはあった。だが“その気”にさせた選手操縦術は見事だった。

鶴岡の長男・山本泰から確執があった野村克也との間柄について興味深い話しを聞き込むことができた。野村夫人の沙知代から「うちのダンナは鶴岡さんに足を向けて寝たことはございません」と打ち明けられたという。

名監督だった野村も、球界にミーティングを導入した川上について「技術を磨くことは、人間性の向上がないとできない」とリスペクトしたのだ。フォーメーション、先乗りスコアラーを採り入れた川上イズムは近代野球の“原点”だったといえる。

そういえばこのオフ、阪神で日本一監督になった岡田彰布が、25年1月1日から出演するABCラジオ「おはようパーソナリティ小縣裕介です/古川昌希です」の新春特番(14時~16時)の収録に立ち会うことができた。

この男もまた初代日本一監督・吉田義男、“仰木マジック”の仰木彬らに教え導かれた。岡田が川上との接点を話したのは意外だった。そしてこの2年間の監督生活にあった逡巡を赤裸々に明かすのだった。

川上は10連覇できなかったことに「巨人は負けるべくして敗れた」という。そして、人と名を残した最強監督に上り詰めた彼でさえ、自身の執念が薄れたと己を責めるのだった。もはや壮絶な監督業へのこだわりがうかがい知れる。

さて新しい年を迎えるシーズンは、それぞれの監督からいかなる人心掌握、采配の妙が見受けられるのだろうか。今から興味は尽きない。(敬称略)【寺尾博和】

    Loading...
    アクセスランキング
    game_banner
    Starthome

    StartHomeカテゴリー

    Copyright 2025
    ©KINGSOFT JAPAN INC. ALL RIGHTS RESERVED.