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【明治神宮大会】オリックス2位の日体大・寺西聖騎2回1失点で終戦、長いリハビリ支えた母の言葉


日体大と福岡大の試合で、寺西成騎投手は5回から3番手として登板しました。結果として、2回を投げて31球、3安打1失点と悔いが残る内容でしたが、大学野球を振り返り感謝の意を表しました。寺西選手は高校から大学にかけて度重なるケガに悩まされましたが、家族や指導者の支えで乗り越えてきました。母親からの手紙に「焦らずゆっくり」との励ましを受け、忍耐力を持ってリハビリに取り組んだ結果、大学3年春に復活しプロ入りを果たしました。彼はプロでの活躍を目指し、さらに成長することを誓っています。

福岡大対日体大 日体大3番手の寺西(撮影・江口和貴)

<明治神宮大会:福岡大7-2日体大>◇大学の部1回戦◇20日◇神宮

日体大(関東5連盟)、オリックス2位の寺西成騎投手(4年=星稜)の大学野球が終わった。福岡大(九州3連盟)との初戦、0-5で迎えた5回、3番手としてマウンドに上がると、5回はスピードが出ない中、真っすぐを中心に。6回は「調子が上がらない中、何とかしようと思った」と、スライダーを交え、2回を投げ31球を投げ3安打1失点。「流れを変えるために僕がマウンドに上がったのに、ふがいないピッチングだったと思います。もっとビシッと抑えたかった」と、調整不足を悔やんだ。

高校、大学の7年間は、ケガばかりの日々だった。根上中時代は17年に第9回BFA・U15アジア選手権で好投し「スーパー中学生」と期待された。星稜に入学すると、1年夏には甲子園デビュー。しかし、2年夏に右肩の関節唇を痛め、3年春に手術。復帰したのは大学3年春だった。「ケガもあり、自分の思うような毎日ではなかったんですが、そこでもサポートしてくれた両親、トレーナー、辻コーチに古城監督に感謝しています。そういう思いをすることが多かった大学野球でした」と、振り返った。

長いリハビリ期間を支えたのは、母・智江さんの言葉だった。石川県能美市に住む両親から大学の寮に、度々、日常品や食品などの差し入れが送られてきた。その中にはいつも母からの手紙が添えられていた。「1番、心に残っているのは1年のときの手紙です。『1歩1歩焦らずにゆっくりと』って書いてあったんです」。その手紙を部屋に貼り心に刻んだ。活躍する同級生や後輩を目に、「焦らない、焦らない」と、自分に言い聞かせ、リハビリに集中。3年春に復活し、プロ野球入りを決めた。

ケガが長かったからこそ、トレーニングの大切さ。そして、何よりも支えてくれる人の大切さは身に染みて感じている。「プロに向け、体を1から鍛えてキャンプに向け今よりもいい状態で入りたい」と、しっかりと足元を見つめる。そして「もっと成長してオリックスのエースになれるように頑張ります」と、力を込めた。これからも、感謝の気持ちを、プロ野球での活躍にかえ、腕を振る。【保坂淑子】

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