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【中日】白井文吾元オーナー死去を中日新聞社が発表 在任中にリーグ優勝4回、日本一1回


中日ドラゴンズの元オーナーであり、名誉オーナーでもある白井文吾氏が、2023年10月29日に老衰で96歳で亡くなりました。愛知県出身で、中日新聞社の名誉会長でもあった白井氏は、2000年から2020年までの間、オーナーとして中日ドラゴンズを率いました。2003年には当時監督だった山田久志氏を解任し、指導経験のない落合博満氏を新監督として迎えるという大胆な決断を下しました。この決断が功を奏し、ドラゴンズは2004年から8年間で4度のリーグ優勝を果たし、53年ぶりに日本一に輝くなどの成果を上げました。また、白井氏は球界再編問題にも大きな影響を与え、2リーグ制の維持を推進しました。葬儀は近親者のみで執り行われ、12月10日に名古屋市内でお別れの会が開かれる予定です。

19年11月24日 中日ドラゴンズOB会 白井文吾オーナー

中日ドラゴンズの元オーナー白井文吾さん(名誉オーナー、中日新聞社名誉会長)が10月29日午後8時、老衰のため死去した。愛知県出身、96歳。4日に中日新聞社が発表した。葬儀は近親者のみで執り行われ、お別れの会が12月10日に名古屋市内で開かれる。

オーナー就任3年目の03年は、星野阪神に独走Vを許した年だった。白井さんは「抜本的なチームの改革が必要」と、3年契約2年目もAクラスだった山田久志監督を9月途中で解任。指導者経験のないOBの落合博満氏を次期監督に招聘(しょうへい)するサプライズを敢行した。

「(落合は)チームの雰囲気を変えてくれる。見識、経験、実績から見ても、筋の通ったリーダーシップを発揮してくれる」。3冠王2度の落合氏はロッテから牛島らとの交換で加入したがFA権を行使して巨人に移籍し、日本ハムで引退。評論家生活を送っていた。中日新聞社内でも賛否両論のあった落合監督就任を実現させると、チームは1年目の04年にいきなり優勝。8年間で4度のリーグ優勝、53年ぶりの日本一にも輝く常勝軍団をつくった。

04年の球界再編問題でも、東海地区で圧倒的な販売力を誇った中日新聞を母体に存在感を発揮した。1リーグ制に一貫して反対の姿勢を取り、オリックスと近鉄の合併、楽天誕生での2リーグ制維持を推進した。

高木守道監督が2年連続V逸した13年オフには、落合氏をGMで球団に復帰させるなど、00年から20年間務めたオーナー職でチームづくりに奔走。高齢をものともしない名物オーナーとして一時代を築いた。

◆白井文吾(しらい・ぶんご)1928年(昭3)1月27日、愛知県田原市出身。49年旧制静岡高校(現静岡大)から、中部日本新聞社(現中日新聞社)に入社。編集局整理部長、編集局長、専務取締役などを経て、97年に代表取締役社長に就任。00年からは中日ドラゴンズオーナーも兼務した。02年にはナゴヤドーム社長にも就任。20年に球団オーナー職を中日新聞創業家でもある大島宇一郎現中日新聞社社長に譲り、名誉オーナーを務めていた。21年には旭日重光賞を受賞。

▽中日吉川球団社長 お元気だとお聞きしていましたので、突然の訃報に驚いています。長い間オーナーをお務めいただき、ご功績は計り知れません。ここのところの成績低迷を大変申し訳なく思います。謹んでご冥福をお祈りいたします。

▽中日井上監督 長きにわたり、いろんな方面でご尽力していただき、素晴らしい功績を残されました。強いドラゴンズをつくっていただいた中で、選手をさせてもらったことも感謝しております。心からご冥福をお祈り申し上げます。

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