ヤクルトから育成3位指名を受けたオイシックスのサブマリン、下川隼佑投手(24)がドラフト会議から一夜明けた25日、三条パール金属スタジアムで汗を流した。入団3年目でつかんだNPB切符。サイドスローで日米通算313セーブを挙げた高津臣吾監督(55)へ“弟子入り”を志願し、まずは支配下登録を目指す。
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取材陣に囲まれた下川の声が弾んだ。「夜中の3時ぐらいに寝ました。連絡返したりして、話したい人とも話せました」。友人や家族から届いた50通以上のお祝いメッセージに感謝しきり。その恩返しのためにも「早く支配下になって、1軍の舞台で投げられるように。まだまだ頑張らないといけない」と、背番号3ケタから2ケタを目指すことを改めて誓った。
その“支配下ロード”を駆け上がるための最高のお手本が、ヤクルトにはいる。球界屈指のサイドスロー右腕として、日本人歴代3位の日米通算313セーブを挙げた高津監督。「代名詞のシンカーを教えてもらいたい。(自分と)同じようなタイプだと思うので、バッターに対峙(たいじ)する姿勢とかも聞ければ」と目を輝かせた。育成選手と1軍指揮官の接点は限られるだけに、年明けの新人合同自主トレから、猛アピールする決意だ。
努力を重ねてはい上がってきた。シニア時代はなかなか試合に出られず、「試合に出たい」という思いで入学した湘南工科高で下手投げに挑戦。エースの座をつかんだが、その後進んだ神奈川工科大では、4年間で公式戦は3試合の登板にとどまった。
「プロ野球選手になりたいって言えるような経歴ではなかった」。そう振り返る男は、「拾ってくれた」と感謝する新潟の地で必死に腕を磨き、夢をつかんだ。ヤクルトでも「(はい上がっていく)気持ちはずっと変わらない。自分らしくやっていきたい」と力を込めた右腕。1軍マウンドを目指す戦いが、始まった。【大島享也】