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【スキラッチ氏悼む】W杯得点王の誇り忘れない完璧主義者も引退後は髪ふさふさ「イケオジ」


磐田対名古屋 サルバトーレ・スキラッチさん(2013年8月3日撮影)

サッカーの元イタリア代表FWサルバトーレ・スキラッチ氏が18日、結腸がんで死去した。59歳だった。

◇  ◇  ◇   

<悼む>

90年イタリアW杯得点王、本場の代表ストライカーとしてスキラッチは開幕2年目のJリーグの舞台にやってきた。95年には34試合出場で31得点という驚異的なペースでゴールを量産。リーグ終盤に負傷して福田正博に得点王こそ譲ったものの、ゴールへの嗅覚は開幕したばかりのJリーグにあって抜きんでた存在だった。磐田の担当記者として当時は「負傷さえなければ…」と何度も残念に思った記憶は鮮明だ。

現役時代のスキラッチには負傷に対する強いこだわりがあったと思う。常に100%納得しなければ出場しない-という自負を感じていた。当時、磐田を率いたハンス・オフト監督がいつも「試合当日まで出場できるか分からない」というほど、コントロールに手を焼いた。指揮官を惑わせ、スタメン予想しなければならない記者たちを泣かせる言動に対し、厳しい記事を書いた。そのことで「あなたの取材は一切、受けない」と何度も取材拒否されたこともあった。それでも平田通訳による丁寧な説得で何とか記者との関係性が断絶されることはなかった。

当時、同じ静岡のJクラブとなる清水には同じ元イタリア代表FWダニエレ・マッサーロが在籍していた。チームに献身的で紳士的な態度のマッサーロと比較され、負傷を理由に何度となく欠場するスキラッチは「わがまま」なイメージがついてしまったことも大きい。常にコンディション最優先だったスタイルは今、思えばW杯得点王、イタリア代表FWとしての誇りを忘れない完璧主義者だったのだと理解できる。

磐田担当を離れ、20年後に静岡・藤枝市で少年少女を集めたサッカー教室にゲストとして登場したスキラッチ氏を再び取材する機会に恵まれた。磐田時代、すごく薄かった頭髪が植毛でふさふさとしており、20年前よりも若々しく見えた。何歳になっても見た目もこだわる完璧主義者。イタリアの「イケオジ」として引退後の人生を楽しんでいるようにみえただけに、早すぎる死にショックは大きい。【94~96年磐田担当=藤中栄二】

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