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【U23日本代表】藤田譲瑠チマ、自覚十分「憧れではなく引っ張る」大岩監督信頼の最多31試合出場


藤田譲瑠チマ(2024年3月22日撮影)

パリ五輪メンバーに“鉄板”で選ばれた。大岩ジャパンの立ち上げからチーム最多31試合に出場してきたMF藤田譲瑠チマ(22=シントトロイデン)。4~5月のアジア最終予選兼U-23アジア杯で主将を務め、大会MVPに輝いた背番号8がこのほどインタビューに応じ「憧れではなく引っ張る気持ち」と決意した。

   ◇   ◇   ◇

始動から2年半、中心であり続けた藤田が開幕まで3週間を切った五輪へ向かう。「チームが優勝するために大会中、自分にできることをしっかりやろうと思います」と覚悟を語った。

攻守において、ピッチ内外において、チームの心臓だ。最終予選では、これまで大岩ジャパンが定めていなかった主将を任された。「あらゆる困難を乗り越えるために」適任と指名されたことが、信頼の厚さを物語る。既にA代表の経験もあり「今の自分にとって世代別の代表は、憧れではなく、もう自分が引っ張るぐらいの気持ちでいます」。リーダーの自覚十分だ。

優勝したU-23アジア杯でも存在感は抜群だった。「同じ温度感でプレーできるように」。1人1人と向き合い、選手ミーティングを開催したり、いつも以上にロッカールームを盛り上げたりして、一体感を演出した。先月21日は、五輪で着用する新ユニホームをお披露目。パリで行われたファッションショーのランウェイに登場した“顔”だ。

今でこそ代表の中心的存在だが、東京Vの下部組織時代は違った。MF山本理仁らは常連だった一方、自身が初めて選ばれたのは19年のU-17日本代表。高校3年の夏だった。日の丸は「遠い存在。意識したことがなかった」と振り返る。

転機は、コンバートだった。ボランチだったが出番に恵まれず、高2の冬からセンターバックに転向。「試合に出られるなら」と我慢していたが高3の夏前、ボランチに復帰した。「そこから劇的に変わった」。遅かった第2次成長期も重なり、身体能力の高まりも相まって才能が開花した。

以後、とんとん拍子に進んだ。進学先の大学を決めていたほど、ほぼ諦めていたトップ昇格が、その夏に転がり込んできた。秋のU-17W杯メンバーに選ばれると、代表に定着。「もっと頑張りたい、トップで活躍したい、海外に行きたいという思いが強まった時期ですね」。成長意欲に比例してステップアップした。

21年は東京五輪の練習パートナーにも選ばれた。「すごくいい経験だった。スピード感もすごく速かったし、技術レベルもすごく高かったし、そういう選手が多かったので、楽しかった」。現A代表の主力級がそろった集団から多くを吸収した。その経験をパリで生かさない手はない。「自分たちは優勝を目指してやるべき」。OA不在でも力強く言い切れる。【佐藤成】

◆藤田譲瑠(ふじた・じょえる)チマ 2002年(平14)2月26日、東京都町田市生まれ。ナイジェリア出身の父と日本人の母を持つ。東京Vの下部組織で育って20年にトップ昇格。J2徳島、横浜を経て昨夏シントトロイデンへ移籍した。22年の東アジアE-1選手権でA代表に初選出された。175センチ、76キロ。

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