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【ヤクルト】涙止まらず…奥川恭伸980日ぶり白星 度重なる故障…家族のデマ流されたことも


オリックス対ヤクルト ヤクルト奥川は勝利を挙げウイニングボールを手に笑顔を見せる(撮影・上山淳一)

<日本生命セ・パ交流戦:オリックス3-5ヤクルト>◇14日◇京セラドーム大阪

涙なくして語れない道のりだった。ヤクルト奥川恭伸投手(23)が「日本生命セ・パ交流戦」のオリックス戦に先発。最速151キロで5回7安打1失点と好投し、21年10月8日阪神戦(神宮)以来となる自身980日ぶりの白星を挙げた。

808日ぶりの1軍マウンド。22年3月29日の巨人戦(神宮)で右肘痛を発症し、昨年7月の練習中には左足首を骨折。満を持して臨んだ2年ぶりの今春キャンプも、完走前に腰痛で離脱。あらゆるものを乗り越えた復活勝利に、ヒーローインタビューでは号泣した。

   ◇   ◇   ◇

左手で恥ずかしそうに頭をかいた。ヒーローインタビュー。奥川のその手は、すぐに目元へ向かった。「2年という期間の中で…」。右手で覆っても、涙は止まらなかった。3回まで毎回、得点圏に走者を置いた。一時はセットポジションで、マウンドからの18・44メートルが遠く感じることもあった。「どう投げていたっけ?」と恐怖を覚えることもあった。4回には杉本に1発を許した。それでも、崩れなかった。5回79球7安打1失点。「うれし涙もありますし、悔し涙も。今回は支えてもらった人たちとか、そういうの思い出すって感じです」。

ようやく吐き出せた。あの時の、心の涙も。2軍の試合で投げる度に、X(旧ツイッター)で「奥川」がトレンドに上がった。興味本位でたどった先のデマに怒りで指先が震えた。「『父親が仕事辞めて、息子のすねをかじっていて、自分の(右肘)手術に反対している』みたいなことが書かれていて。父は別のところで働いているし、手術のことも自分がしない決断をした。一切違うのに勝手に書かれて一番ムカついた。野球選手やってる以上は、たたかれることは覚悟しないといけない。でも家族は別に関係ない」。当時は言えなかった。「リハビリ中に何を言っているんだって思われる」。否定したくても出来ないもどかしさ。「勝った時にようやく言える」。復活の日を心待ちにした。

何度空を見つめ、泣いたことか。今年のはじめ。初詣に向かった。何げなく引いたおみくじ。「大吉」とあった。過去の右肘痛、左足首の骨折も癒え「今年こそ大丈夫」と思った矢先、2年ぶりの1軍春季キャンプ中に腰痛が襲った。「呪われているのかなと思いました」。周囲からは、おはらいを勧める声もあった。ただ、おみくじの下にはこう書いてあった。「けがも良くなるでしょう」。

囲み取材中も時折、言葉を詰まらせた。「野球の神様っていうか、本当助けられたなって思います。今までいろんな選択がありましたけど、歩んできた道が間違いじゃないことをしっかり証明したいなと思ってた」。涙なくして、帰ってこれなかった。【栗田尚樹】

○…奥川は故郷への思いを忘れなかった。今年1月に発生した能登半島地震で被害を受けた故郷・石川の出身。「今年は石川県の皆さんのためにも頑張るって決めたシーズンだったんですけど、それもキャンプで離脱があって」と言葉をつまらせた。「本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした」と号泣した。

<プロ入り後の奥川>

◆20年 2軍で7試合先発して防御率1・83。右肘の軽い炎症でノースロー期間が2度あった。チーム最終戦の11月10日広島戦でプロ初登板初先発を果たすも、2回0/3を5失点で黒星を喫する。

◆21年 開幕ローテ入りをつかみ、4月8日広島戦でプロ初勝利。先発の軸として活躍を続けてチーム最多タイの9勝を挙げた。巨人とのCSファイナルステージではシリーズ最年少完封勝利をマーク。

◆22年 キャンプ中からコンディション不良が続き、3月30日に右肘痛で登録抹消。7月には新型コロナ感染もあり、シーズン1試合の登板にとどまった。オフに右肘保存療法を選択し長期のリハビリへ。

◆23年 4月18日の2軍戦で1年ぶり実戦登板。6月までに7試合登板したが、7月4日の練習中に左足首を骨折。10月1日の2軍最終戦で実戦復帰した。その後はフェニックスリーグ登板予定も、コンディション不良で回避。

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