<ブレーブス1-9パドレス>◇19日(日本時間20日)◇トゥルーイスト・パーク
パドレス・ダルビッシュ有投手(37)が日米通算200勝を達成した。日本ハム入団時に編成部ディレクターだった元GMの山田正雄スカウト顧問(79)がダルビッシュ獲得秘話を明かした。
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ダルを最初に見たのは02年の春でした。当時の担当スカウトの今成と一緒に、他の選手の視察で東北高校へ行った時に1年生のダルは合宿所の玄関で腹筋をしていました。成長痛の影響で足の状態が良くなかったんですよね。その時、当時の若生監督が「おいダル、例えば2年後に、日本ハムが1位で行くぞって言ったら“いや、僕は日本ハムは行きません”というようなことは言うんじゃないぞ」と言っていて(笑い)。ダルは「僕は、そういうことは一切しません」と言っていたのを覚えています。
その頃から練習が好きではないというウワサもありましたけど、成長痛が要因で練習ができていないということは分かっていました。ダルはそういうことを自分から言わないタイプでしたし、試合ではいい時と悪い時の差がすごくあったので、そういったウワサとちょうどマッチして誤解されていたんだと思います。
同世代に横浜高校の涌井らもいましたけど、素材としては一番でした。特に投球フォームで大事な体重移動。体が大きいとうまくできない人が多いですが、ダルはものすごくうまかったし、左肩も開かない。そこはメジャーで投げている今も変わらないですね。そんな先天的な才能も評価して自然と1位入札が決まり、縁がつながりました。
性格面を不安視する声もあって他球団はドラフトで1位入札に至らなかったのでしょうが、合宿所の玄関で腹筋をしていた時に若生監督とか周りの人たちと話している姿を見たりしていたら、そういう部分はさほど感じませんでした。むしろ、成績を残して注目されるようになったら、絶対に性格面も成長していくだろうという思いはありましたね。だから、入団直後に喫煙で謹慎となっても心配しませんでした。それは若気の至りでもあったと思いますし、結果を出して必ず乗り越えて変わっていくと信じていましたから。
その後の成長ぶりは見ての通りです。1年目の途中で、後ろが大きいアーム的なフォームから肘をうまくたたんでいく投げ方に変わった時に「それはコーチの誰かに言われたの?」と聞いたら「いや、僕は自分で自然に直しました」と。2軍にいた時はバックネット裏で「このバッターは○○が弱いから、俺ならここに投げる」とか言いながら試合を見ていました。
栄養学も勉強していたから、ダルのお父さんは「あいつと食事したって、鶏肉のどこがどうだとか言って、ちっともうまくも何もねぇ」とか言っていました(笑い)。そうやって我々が期待したように自分で考え、実践して、本物のアスリートに変わりました。
性格的な問題も言われていましたけど、やっぱり本質は違いました。そこを見抜くのは難しいですけど、人間はその時の性格や行動だけで判断してはいけないし、その裏側もしっかり見てあげないといけない。そういうことも勉強させてくれたのがダルですね。まだまだできると思うし、将来は日本ハムに帰ってきてくれたらうれしいですね。