
プロ野球の巨人の監督を2期15年にわたって務めた巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんが、3日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で亡くなった。89歳だった。読売新聞グループ本社、読売巨人軍、オフィスエヌが連名で発表した。
長嶋さんの引退試合を復刻する。
<1974年(昭49)10月15日>
長嶋は泣いた。スタンドを埋めた5万の大観衆も泣いた。14日後楽園球場で行われた巨人-中日ダブルヘッダーで、17年間プロ野球のアイドルとして親しまれてきた“ミスター・プロ野球”長嶋茂雄選手が、栄光に包まれた現役生活にピリオドを打った。この日、快晴の後楽園には、ミスター・プロ野球の最後の晴れ姿を見ようというファンがどっと詰めかけ、ウイークデーにもかかわらず5万人の大観衆にうずまった。第1試合に生涯最後の通算444号を左翼席にたたいた長嶋は、第1試合後場内を感涙にむせびながら1周した。1打席ごとに惜別の大歓声と拍手が沸き起こる第2試合終了後、マウンド上で「長い間、巨人軍、長嶋茂雄に声援してくださってありがとうございました」とあいさつ。蛍の光が流れる中、不世出のヒーロー長嶋に別れを惜しんで泣き叫ぶファン。ミスター・プロ野球は、川上監督以下ナインと握手を交わしながら、栄光の舞台から消えていった。見事で鮮やかな、うるわしい引退劇であった。
☆堂々とお別れの辞
「笑って、カラリと晴れあがった秋空のような心境で、バットを置きたい」と、この日を期したのに、いざその場に立てばあふれる涙を抑えることができなかった。いったい、何度、長嶋はお尻のポケットからタオルを引っぱり出して目頭をぬぐったことだろう。外野の芝生を1周した時3度、そして巨人のナインと別れの握手を交わしたときに2度、合計5回、真っ白いタオルが長嶋の顔を覆った。
プロ入りから17年間、長嶋に笑顔は絶えなかったが、涙はついぞ見せなかった。たった1度、うっすらと目尻をしめらせたのは38年の9月7日、バッキー(阪神)から右手薬指に死球を食って、3冠王を断念したことがある。この時だけは、1人医務室にこもって、バスタオルをかぶった。20分もそうしていただろうか。タオルを取り去ったとき、目は真っ赤だった。プライベートな部分はいざ知らず、人前での涙は17年間でこの1度だけだった。それが最後となれば、涙は洪水のようにあふれ出た。
第1試合が終わると、長嶋は外野に向かって歩いた。全くのハプニングである。3日前から準備されたセレモニーには、外野スタンドのファンに別れを告げるなんて、予定にはなかった。しかし、長嶋は知っていた。「外野席のお客さんこそ、一番熱心なファンですよ。急にお会いしたくなって、お別れをいいたかったんです」。外野席は異様な雰囲気だった。長嶋が泣き出すよりも先に、ファンが泣いた。長嶋と同じ世代、中年男性の泣き声が目立った。
長嶋の感激が、そして場内の興奮が最高潮に達したのは、試合が終わった後のマウンドに立ったときだった。劇的効果を盛り上げるために、やや薄暗くなったグラウンドに、スポットライトが一筋、長嶋の体を照らし出した。もちろん照明灯は全部消えている。
☆タオルぐっしょり
「昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来、今日まで17年間、巨人並びに長嶋茂雄のために、絶大なるご支援を頂きまして、誠にありがとうございました。ここに体力の限界を知るに至り、引退を決意致しました……」出だしこそ、言葉つきは明瞭だったが、後になるに従って、途切れがちになったのは、やはり過ぎ去った17年間が、目まぐるしく胸の中を去来したからだろう。
ついに感情が爆発した。場内のファンが合唱する蛍の光に送られて、マウンドから一塁側通路に消えようとした。その前に巨人ナインが川上監督以下38人ずらーっと並んでいる。「最初の4、5人までは、なんとか感情を抑えようとしていたが、7、8人目となったら、涙がとめどなく流れてもう無我夢中だった」握手を交わしているうちに、長嶋の顔はもうくしゃくしゃだった。もちろん、送る側の王、柴田、末次、倉田、黒江、土井みんな泣いていた。
これほど劇的な引退試合が今まであっただろうか。金田、村山各氏がやってもらったような有料引退試合は、長嶋のためには組まれていない。長嶋が巨人を去るのではなく、来シーズンから監督路線が敷かれているからだが、これだけ盛り上がったら、お金なんか問題でない。人生の詩は断じて金でないことを証明した。
☆因縁34番から一発
演出でない演出も感激を増した。第1試合、中日の先発は“34”の左腕投手だった。村上である。ウエスタン・メンバーの中日ではこの村上だけが公式戦わずか1勝ではあっても勝ち星がある。長嶋に敬意を表しての登板だが、長嶋は目をみはった。17年前、デビュー戦の国鉄(現ヤクルト)の金田がそこにいた。「17年間の思い出といえば、やっぱりデビューの4打席4三振の無残なことが一番印象に残っています」最初と最後が34番とは、なんとくしき因縁だろうか。しかもホームランを打った。4回1死からの2ランだった。「最後だから、今日はホームランを打って走りたかった。そこで、練習では思い切り打ったんです」となれば、思い残すことはなかったろう。
王がポツリといった。「もうあんな人は2度と出てこないでしょう」。2186試合、打席9201、安打2471、ホームラン444、1522打点。長嶋は、17年間の現役生活にピリオドを打った。ご苦労さん。サヨウナラ。「長嶋監督」の前途にも幸いあれ。【高橋(大)】