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W杯で日本代表が健闘して東京五輪が近づいてきた現在、「HINOMARU」日本に忍び寄る”どす黒い空気”の正体とは?【西村幸祐】



FIFAワールドカップ・ロシア大会が、フランスの20年ぶり2回目の優勝で幕を閉じて三週間になる。波乱が多かったW杯で、初めて決勝に進出したクロアチアの〈魂のサッカー〉も記憶に残ったが、日本代表も予想を裏切りベスト16に進出した。7月2日にロストフ・ナ・ドヌーで行われた対ベルギー戦で惜しくも逆転負けを喫しベスト8進出を阻まれたが、この2年間、W杯予選を含めた22試合で負けなしだったベルギーを、日本代表はあと一歩のところまで追いつめた。


そんな日本代表には日本人のみならず世界中から賞讃の声が寄せられた。随所に質の高いプレーを見せてくれたからだ。その証拠に7月16日にFIFA(国際サッカー連盟)が発表した「W杯ロシア大会で評価が躍進した選手」5名の中に乾貴士が選出された。


Reputations on the rise in Russia

We take a look at five players who burst on the scene at #WorldCup

https://t.co/fK5uaTI0qW pic.twitter.com/TWZs8ztFvI

— FIFA World Cup (@FIFAWorldCup) 2018年7月16日


ところが、そんな日本代表の活躍に水を差すような出来事が今年の春頃から立て続けに起きていた。正確に言えば、その動きはこの2、3年で顕著になっている現象の一つだ。スポーツのレベルで言えば、日本の活躍に水を差すことになるが、もっと不気味などす黒い意思を背後に湛(たた)えたものだった。


もし日本代表がベスト8以上に進出していたなら、日本への反発はより激しくなっていただろう。また、来年のラグビー・ワールドカップ、2年後の東京オリンピックにまで、その〈どす黒い意思〉が次々と及び、より大きな危険な動きになるだろう。


いったい、それは何だろうか?


結論から先に言えば、それは、日本人と日本的な的なものを圧殺する全体主義、反日ファシズムである。







■表現に挑戦するRADWIMPSが「HINOMARU」で挑んだタブー


大ヒット映画「君の名は。」の主題歌を歌った人気ロックバンド、RADWINPSの「HINOMARU」という曲が突然ネット上で騒ぎになったのは6月上旬だった。6月6日に発売されたシングルのカップリング曲、「HINOMARU」の歌詞へ一部のファンが批判したことが契機となり、サブカルチャーの領域で騒ぎが大きくなったのだが、擬古文調の言葉を歌詞に用いた新鮮な歌詞がしっとりしたメロディーと調和した、美しいバラードである。


そもそもRADWIMPSは、平成20年代(2010年代)に、それまでの日本のポピュラー音楽界が持っていたコード(規制・検閲)を壊そうとして来たグル-プだ。平成初期の1990年代にいわゆる〈澁谷系〉という音楽ムーブメントと同時にメジャー化したMr,Chirdrenの系譜にあるグループだが、それまで多くのミュージシャンが扱っていた〈日常性〉から、飛躍を試みる志向性を持っていた。


イントロでバスドラが二分音符と八分音符で太鼓のようにリズムを刻み、


《風にたなびくあの旗に いにしえよりはためく旗に
意味もなく懐かしくなり こみ上げるこの気持ちはなに》


と歌が始まる。なかなかいい曲だというのが最初の感想だ。ところが、なぜか歌詞が一部から批判にさらされる。その騒ぎが聴こえて来た時に最初に思ったのは、もしこの曲のタイトルが「HINOMARU」でなく、例えば「三色旗」や「星条旗」、あるいは「五星紅旗」、「太極旗」、「青天白日旗」だったらどうだったのか、ということだ。


騒ぎが大きくなったのは、ネットメディアの「ハフィントン・ポスト」が騒ぎを報じて、さらに〈メディア活動家〉を自称する津田大介という人物がツイッターで触れてからだ。そんな経緯を振り返ると、「HINOMARU」にまつわる騒動は火のない所に無理やり煙を立てた空騒ぎに過ぎなかった。無理やり騒ぎを起こすには、恣意的な意思が必要で〈どす黒い意思〉の気配を感じざるを得ない。


ここで指摘したいのは、RADWIMPSはこれまで音楽表現でTVでは放送コードに抵触し、放映できないような、たとえば「セックス」という言葉を歌詞に織り込むようなタブーへの挑戦を繰り返してきたバンドであることだ。つまり、「HINOMARU」にもそのようなタブーを恐れないクリエイターの意思が込められている。


では、そのタブーとは、いったい何か? そのタブーに言及しない「HINOMARU」への言説は前提から間違っていないのか、そんな視点が必要なのである。







■ゆずとRADWIMPSが敏感に感じ取った、日本を取り巻く”どす黒い空気”の正体


そこで思い出したのは、4月頃にやはり人気グループのゆずがリリースした「ガイコクジンノトモダチ」という曲が、やはり謎の批判にさらされたことである。「ガイコクジンノトモダチ」も実にいい曲で、明るい軽快な曲調でいながら、きつい皮肉や社会風刺を織り交ぜた近来ない名曲だ。


この曲も歌詞に出て来る「靖国の桜」が「明治神宮の桜」や「千鳥ヶ淵の桜」だったら、果たして騒ぎになったであろうか? 騒ぎの大きさは、コンサート妨害デモまで起きたRADWIMPSの「HINOMARU」の方が大きかったが、実は、ゆずの「ガイコクジンノトモダチ」の方が、社会風刺とメッセージ性という点ではインパクトが大きかった。


この二つの楽曲を嫌悪し、呪詛のような抗議まで起こした人たちは、その差異にも気づかなかったのかも知れない。抗議の度合いを間違えている。そんなピント外れが、この問題を取り巻く朝日新聞など批判報道の本質であり、日本人を圧殺する〈どす黒い意思〉が隠されたままになっている。


逆に言えば、ゆすとRADWIMPSが歌ったこれらの曲は、日本人を抑圧する同調圧力や全体主義的な空気を敏感に感じ取ったミュージシャンが、そんな抑圧システムへささやかな抵抗を試みたということだ。彼らが〈どす黒い意思〉を意識したかどうかは関係ない。ただ、アーティストの鋭敏なアンテナだからこそ、どす黒い存在を感知し得た結果なのである。


RADWIMPSの「HINOMARU」を巡って、朝日新聞が6月14日付け紙面で《RADWINPS新曲が投げかける「愛国」》という署名記事を掲載し、産経新聞文化部の桑原聡が6月22日付けのオピニオン紙面に《SNS上の空騒ぎ》という論考を執筆した。また。東京新聞の6月28日付け論壇時評は中島岳志が《RADWIMPSの愛国ソング 日本語論より動機考察を》というタイトルで取り上げ、雑誌『正論』9月号(8月1日発売)は「特集・表現の自由」で《音楽業界の言葉狩りはチャンチャラおかしい》という、つるの剛士、つのだひろ、先崎彰容の座談会、《「政治的な正しさ」をエンタメ・芸術に求めるのは正しいか》という三浦小太郎の論考を掲載した。


このように空疎な「モリカケ問題」とは別に、実は秘かに音楽への言論弾圧問題は焦点になっている。次回はそれぞれの論考から〈どす黒い意思〉の正体を明らかにしたい。


 

西村幸祐 <批評家 / 岐阜女子大学客員教授 / 関東学院大学講師>

1952年東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科在学中より「三田文学」編集担当。「ニューミュージック・マガジン」(現「ミュージック・マガジン」)、音楽ディレクター、コピーライターを経て1980年代後半からF1やサッカーを取材、執筆活動を開始。2002年日韓共催W杯後は歴史認識や拉致問題、安全保障やメディア論を展開。「表現者」編集委員務め「撃論ムック」「ジャパニズム」を創刊し編集長を歴任。一般社団法人アジア自由民主連帯協議会副会長。著書に『ホンダ・イン・ザ・レース』(講談社)、『幻の黄金時代—オンリーイエスタデイ ’80s』(祥伝社)、『「反日」の正体』『「反日」の構造』(文芸社文庫)、『マスコミ堕落論』(青林堂)、『NHK亡国論』(KKベストセラーズ)など。

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