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失敗から学んだ心構え=東京五輪主将の山縣―企画・大役の夏を経て(上)


 昨夏の東京五輪は、新型コロナウイルスの影響で1年延期の末に無観客で行われた。異例ずくめの大舞台で日本選手団主将を務めた陸上男子の山縣亮太(30)=セイコー=は、自国開催での大役から1年を経て、「あっという間。いろんな意味で余裕がなかったと改めて思う」と振り返る。
 主将を打診された時は迷いもあったという。「五輪の個人種目でメダルを取っている選手もたくさんいる。自分でいいのか」。関係者からの信頼を受け止めて貴重な経験を積み、「やってみてよかった」と今は言える。
 2013年に東京開催が決まった時は「もしかしたら自分のキャリアのピークになるかもしれない」と感じ、ずっと意識してきた。直前の数カ月は「競技人生の中で間違いなく一番ハードだった」。21年6月に9秒95の日本新記録を樹立したが、「調子が上がっていた感覚がする一方、体がどんどん悲鳴を上げていたような感じもあった」。体重も増減を繰り返し、コンディション維持に細心の注意を払ってきた。
 本番は100メートルで予選敗退、2走を務めた400メートルリレーでは決勝でバトンを受け取れなかった。悔しい結果に終わり、「パリ(24年五輪)で自分の可能性を試したいという思いは強くなった」。走りを改善するために右膝手術に踏み切り、復帰後は9秒8台を狙う。
 日本選手団は史上最多の金27を含む58個のメダルを獲得したが、思うような結果を残せなかった選手も多い。その1人として、「絶対に失敗できないと思いながらやることが、成功から自分を遠ざける」と学んだ。
 スポーツの価値とは何か。選手団主将として人一倍考えた。導き出した答えは「結果を出すことも出せないこともスポーツ。見ている人の心を動かせるようなもの」。
 ◇山縣亮太の略歴
 山縣 亮太(やまがた・りょうた)広島・修道高、慶大を経てセイコー所属。陸上男子100メートルで五輪3大会に出場し、12年ロンドン、16年リオデジャネイロは準決勝進出。18年ジャカルタ・アジア大会は10秒00で銅。21年6月の布勢スプリントで9秒95の日本新記録。400メートルリレーではリオ五輪で1走を務めて銀。30歳。広島県出身。 (了)
【時事通信社】
〔写真説明〕陸上男子の山縣亮太=6月17日、横浜市港北区の慶大日吉キャンパス
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