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化粧品業界のアイコンであるエスティ・ローダー・カンパニーズのレナード・A・ローダー名誉会長が死去


エスティ・ローダー・カンパニーズの名誉会長であるレナード・A・ローダー氏が92歳で逝去しました。彼は1933年ニューヨーク生まれで、エスティ・ローダー・カンパニーズを多ブランド展開のグローバルリーダーに発展させました。ローダー氏は様々なブランドの立ち上げや買収を主導し、また美容業界の革新者として高く評価されています。教育、芸術、医療への寄付活動にも熱心に取り組み、特にメトロポリタン美術館へのキュビズムコレクションの寄贈などが記録されています。彼の死に際し、家族やエスティ・ローダー・カンパニーズの関係者から惜しむ声が数多く寄せられています。また、多数の慈善団体を支援し、2度の雷の愛とも言える家庭生活を築きました。レナード・ローダー氏の影響力は、エスティ・ローダーだけでなく、多くの分野に及んでいます。

ニューヨーク--(BUSINESS WIRE)--(ビジネスワイヤ) --エスティ・ローダー・カンパニーズ(NYSE:EL)は、深い悲しみと共に、レナード・A・ローダー名誉会長が6月14日、92歳で家族に囲まれて最期を迎えたことをお知らせいたします。






ローダー氏は1933年にニューヨーク市において、エスティ・ローダー・カンパニーズの創業者であるエスティとジョセフ・H・ローダーの長男として誕生しました。彼はブロンクス科学高等学校、ペンシルベニア大学ウォートン・スクール、および米国海軍将校候補生学校を卒業しました。ローダー氏はコロンビア大学ビジネススクールで学び、米国海軍の大尉として勤務し、米国海軍予備役としても活躍しました。この功績に対し、米国海軍補給部隊財団からDistinguished Alumni Award(ディスティンギッシュ・アルムニ賞)が授与されています。彼は1958年にエスティ・ ローダーに正式に入社し、60年以上にわたり先見の明を持つイノベーターとして、当社を米国内の店舗で単一ブランドのもとで数少ない製品を販売する企業から、現在のようなマルチブランド展開のグローバルなプレステージビューティ業界のリーダーへと変革する役割を果たしてきました。


「父は生涯をかけて美容業界の構築と変革に尽力するとともに、数多くのイノベーション、トレンド、ベストプラクティスを開拓してきました。そしてそれは現在も業界の基盤となっています」と、レナード・ローダーの息子でありエスティ・ローダー・カンパニーズの取締役会会長を務めるウィリアム・P・ローダーは述べています。「彼は私が知るなかで最も慈善活動に熱心に取り組んでいた人物でした。芸術と教育はすべての人々のものだと考え、アルツハイマー病や乳がんと闘う人々を支援してきました。何よりも、父は出会ったすべての人に親切に対応する人でした。父の影響力は計り知れません。父は従業員こそ当社の心臓であり魂であると考え、従業員は父のことを尊敬し、父との時間を愛していました。父の温かさと親切心は、当社、業界、そしてもちろん私たちの家族に深い印象を残しました。私の家族、エスティ・ローダー・カンパニーズ、そして父と過ごした数え切れないほどの人々とともに、彼の非凡な生涯を祝福したいと思います。」


ローダー氏は、1972年から1995年までエスティ・ローダー・カンパニーズの社長を務め、1982年から1999年まで最高経営責任者(CEO)を務めました。1995年に会長職に就任し、2009年6月までその職責を果たしました。在任期間を通じて、ローダー氏は常に現状に満足することなく、美容業界に革命をもたらす画期的な販売・マーケティングプログラムの開発と実施を推進しました。当社初の研究開発ラボを立ち上げ、あらゆる階層にプロフェッショナルなマネジメント体制を導入しました。また、エスティ・ローダー・カンパニーズの国際展開を推進し、売上と利益を飛躍的に拡大する原動力としての役割を果たしました。


ブランド構築において伝説的な人物であるローダー氏は、アラミス、クリニーク、ラボシリーズをはじめ、数多くのブランドの立ち上げを主導してきました。彼は自身の最期を迎えるまで当社の買収戦略に深く関り、アヴェダ、ボビイ・ブラウン、ジョー・マローン・ロンドン、ラ・メール、M・A・Cなどの買収にも携わりました。


エスティ・ローダー・カンパニーズを代表して、社長兼最高経営責任者(CEO)のステファン・ドゥ・ラ・ファヴリーは次のように述べています。「レナード・ローダーは多くの人々に愛されていました。今回の出来事により多くの人々が悲しむことでしょう。当社の従業員にとって彼はインスピレーションの源であり、チャンピオンのような存在でした。業界にとって彼はアイコンかつパイオニアであり、世界中から尊敬を集めていました。今日の当社があるのは、彼のエネルギーとビジョンによるところが大きく、今後も世代を超えてその影響が引き継がれていくことでしょう。彼は非常に思いやりのあるリーダーであり、従業員一人ひとりをとても大切にしていました。レナードとともに働けたことを大変名誉に思います。彼は私が夢に描いた最高のメンターです。彼は私たち全員の記憶に永遠に刻まれるでしょう」


ローダー氏は、名誉会長としての長きにわたる期間、当社の事業と日常業務に深く関わり、ニューヨークにあるエスティ・ローダー・カンパニーズのグローバル本社および世界中の店舗やカウンターにおいて、最期を迎えるその瞬間まで一貫してその存在感を示していました。ローダー氏は、同僚一人ひとりを家族の一員と考え、そのように接してきました。他社と一線を画す当社の価値観は、彼が強く信じ、体現してきたもので、特に寛容の精神とすべての人に対する思いやりが挙げられます。ローダー氏が最も誇りに思っていた役割は、おそらくエスティ・ローダー・カンパニーズの「最高教育責任者」という非公式な役割でしょう。彼は、企業の財産は人材にあると信じ、多様なタレントプールの教育と育成に注力しました。彼は、従業員の功績を称え、感謝することの重要性を強く信じ、従業員の支援に尽力してきました。2020年の世界的なパンデミックの初期段階において、ローダー氏は従業員とその家族の身体、精神、感情におけるウェルビーイングを支援するための「ELC Cares Employee Relief Fund」を設立すべく中心的役割を果たしました。


ローダー氏は、医療研究、教育、芸術、外交政策、慈善活動など多岐にわたる分野で深く関与し、その分野に与えた影響は変革的なものでした。


ローダー氏は、一般の人々が芸術や美術館に広くアクセスできることが重要であると強く信じており、その信念が「コレクターの主な役割は所有ではなく保存である」という彼の哲学の基盤となりました。彼はメトロポリタン美術館(メット)を長きにわたり支援しており、2013年には同美術館に78点からなるキュビズム芸術のコレクションを寄贈しました。これはひとつの団体からの寄贈としてはメットの歴史上最大規模となります。その後、彼はさらに5点の主要作品を寄贈しました。キュビズムコレクションの寄贈と並行して、彼はメトロポリタン美術館内に「レナード・A・ローダー現代美術研究センター」を設立し、フェローシッププログラム、特定のテーマにフォーカスした展示会、公開講座など、現代美術を支援する充実したプログラムの推進に寄与しました。彼はメトロポリタン美術館で際立った存在感を示すとともに、1977年から2011年までホイットニー美術館の名誉会長兼理事を務めました。生涯を通じて、彼は数多くの機関に美術品を寄贈し、キュレーター職や研究部門に寄付を行いました。


ローダー氏は長きにわたってがん研究を支援しており、最愛の妻である故エヴリン・H・ローダー氏が1993年に設立した乳がん研究基金の理事会名誉会長を務めていました。また、アルツハイマー病との闘いを支援するアルツハイマー病創薬財団を弟のロナルド・S・ローダーと共同で設立し、最先端の医薬品研究をサポートしました。ローダー氏はこれらの団体に生涯にわたり積極的に関与し続け、いずれも彼にとって極めて大切な存在でした。


兄を偲んで、エスティ・ローダー・カンパニーズのクリニーク・ラボラトリーズのロナルド・S・ローダー会長は次のように述べています。「レナードは素晴らしい兄であり、献身的な夫、父親、祖父、曾祖父、叔父、同僚、そして友人でした。彼は家族の中心的存在である一方、その功績は家族の領域をはるかに超える幅広い範囲に及んでいます。彼の精力的な慈善活動、アドボカシー、そして世界が直面する最も大きな課題に取り組む創造性を通じて、世代を超えてその影響力を感じることができるでしょう。彼があらゆる活動を通じて、ポジティブな影響を与えた人々の数は計り知れません。私たちは皆、彼の情熱と寛大さに刺激を受けてきました。彼の最期がどれだけ惜しまれるか、言葉で表現する術はありません。」


「私の父は、ビジネス界のリーダーであり、献身的な慈善家であり、深く愛に満ちた父親、祖父、そして曾祖父でした」と、レナード・ローダーの息子でありエスティ・ローダー・カンパニーズの取締役を務めるゲイリー・M・ローダーは述べています。「彼が持つエネルギー、鋭い知性、そして寛大な精神は、世界中の人々の心に深い感銘を与えました。私にとって、彼は常に励ましや知恵、そして愛を与えてくれる存在でした。彼の幅広い功績は美容業界に留まらず、彼の慈善活動や芸術、教育、医療に対する情熱的な取り組みによって数多くの人々が救われています。彼は尊敬され、賞賛されるだけでなく、従業員や同僚から愛される人物でもありました。彼の愛情は私にとって特に印象に残っています。彼の死を悼み、私たちは彼の非凡な生涯、絶え間ない貢献、そして誠実さ、好奇心、恩返しすることの重要性といった私たち全員にもたらした価値観を称えたいと思います。彼を惜しむ気持ちは言葉では表現できません。」


ローダー氏は教育の価値を信じ、様々な学術機関を支援してきました。彼はペンシルベニア大学の名誉理事であり、弟のロナルド同様、同大学のJoseph H. Lauder Institute of Management and International Studiesの理事会の創設メンバーでした。教育への情熱は公共の分野にもおよび、ニューヨーク近郊の複数の学校を支援し、2017年にブロンクス科学高等学校の殿堂入りを果たしています。2020年のパンデミックにより、十分な医療サービスが受けられない地域において質の高いプライマリーケアの不足が深刻であることが浮き彫りとなった際、ローダー氏はペンシルベニア大学と協力し、診療看護師の養成プログラムの授業料無料化を実現しました。彼の1億2,500万ドルにおよぶ寄付は、米国の看護学校への寄付としては史上最大の金額となり、ペンシルベニア大学に「Leonard A. Lauder Community Care Nurse Practitioner Program」を創設することができました。


ローダー氏は、生涯にわたって政府、政治団体、非政府組織、および官民セクター間の対話を促進する活動に従事し、この多分野に跨る対話が進歩のためには欠かせないものであると信じていました。彼は外交問題評議会の会員を務め、アスペン研究所の理事会において名誉会長兼終身理事として活躍しました。彼は公共サービスが個人の義務であると考え、米国海軍で勤務したほか、1983年から1987年までロナルド・レーガン大統領のもとで通商交渉に関する諮問委員会の委員を務めました。


ローダー氏は生涯にわたって数多くの賞を受賞しました。その中には、米国海軍補給部隊財団から授与された「ローン・セーラー賞」、フランス政府から授与された「レジオン・ドヌール勲章」、 Lincoln Center Corporate Fund Women’s Leadership Councilから授与された「女性のリーダーシップ賞」、およびパラッツォ・ストロッツィから授与された「ルネサンス・マン・オブ・ザ・イヤー賞」などが含まれます。2020年には、ワールド・リテール・コングレスにおいてリテール部門の殿堂入りを果たしています。


ローダー家は、慈善活動と公共サービスへの長年の貢献が称えられ、2011年にカーネギー博愛賞(Carnegie Medal of Philanthropy)を受賞しました。2014年には、ローダー氏がNew York Landmarks Conservancyより「リビング・ランドマーク」に選出されました。また、ローダー氏とグリックマン・ローダー氏は、2016年にゴードン・パークス財団から「Patron of the Arts Award」を受賞しています。


ローダー氏は、2020年に出版され高い評価を受けた回顧録「The Company I Keep:My Life in Beauty」において、ビジネスと人生で学んだ多くの教訓を共有しました。


彼は、エスティ・ローダー・カンパニーズのシニア・コーポレート・バイスプレジデントであり、乳がん研究基金の創設者であるエヴリン・H・ローダーと、1959年から彼女が2011年に亡くなるまで結婚していました。2015年1月1日、ローダー氏は、慈善家であり国際的に著名な写真家であるジュディ・グリックマン・ローダー氏と再婚しました。彼女の作品は、J・ポール・ゲティ美術館、ホイットニー美術館、メトロポリタン美術館、およびホロコースト記念博物館など、300を超える公共および民間によりコレクションとして集められています。ローダー氏は、恋愛において幸運だったと自ら認めており、雷が二度落ちることもあると信じていました。


彼はその生涯を通じて家族に愛情を注いでいました。両親を愛し、弟のロナルドを敬愛し、ロナルドがジョー・キャロルと築いた家族を大切に思っていました。姪とその家族は、彼の心の中で特別な存在でした。ローダー氏は、妻のジュディが家族の輪を広げてくれたことに感謝し、義理の子供たちとその家族を大切に思っていました。しかし何より、彼は二人の息子とその家族、そして孫と曾孫について、とても誇りに思っていました。ローダー氏は彼らを深く愛していました。


ローダー氏は真の先見の明を持つ人物であり、勇敢なリーダーであり、多くの人々から愛された友人でした。彼は当社の指針となる人物であり、業界全体にとって北極星のような存在でした。レナード・ローダー氏がこの世にいてくれたことで、世界はより良い場所になりました。エスティ・ローダー・カンパニーズは、この非常に大変な時期にあるローダー氏のご家族の皆様に、心よりお悔やみ申し上げます。


ローダー氏は、妻のジュディ・グリックマン・ローダー、息子のウィリアム・P・ローダー、同じく息子のゲイリー・M・ ローダーとその妻のローラ・ローダー、5人の孫(レイチェル、ダニエル、ジューナ・ベア、ジョシュア、エリアンナ)、2人の曾孫、多くの義理の子供と義理の孫、弟のロナルド・S・ローダーとその妻のジョー・キャロル・ローダー、そして彼らの娘のエアリン・ローダーとジェーン・ローダーに囲まれて生涯を過ごしました。


友人および家族のためのプライベートな葬儀が執り行われます。ご希望の方は、お花に代えて、乳がん研究基金およびアルツハイマー病創薬財団への寄付をご検討ください。


エスティ・ローダー・カンパニーズについて


エスティ・ローダー・カンパニーズ(ELC)は、高品質なスキンケア、メイクアップ、フレグランス、ヘアケア製品を製造、販売する世界有数の企業であり、ラグジュアリーブランドとプレステージブランドを世界規模で統括しています。同社の製品は、エスティ ローダー、アラミス、クリニーク、ラボ シリーズ、オリジンズ、M·A·C、ラ・メール、ボビイ ブラウン コスメティックス、アヴェダ、ジョー マローン ロンドン、バンブル アンド バンブル、ダルファン パリ、トム フォード、スマッシュボックス、エアリン ビューティー、ル ラボ、エディション ドゥ パルファン フレデリック マル、グラムグロー、キリアン パリ、トゥー フェイスド、ドクタージャルト、ジ・オーディナリーやNIODを含むDECIEMファミリーブランド、そしてバルマン ビューティーといったブランド名で、約150の国と地域で販売されています。


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Contacts


Investors:

Rainey Mancini

rmancini@estee.com


The Estée Lauder Companies:

Meridith Webster

mwebster@estee.com

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