シダックス株式会社の創業者で、顧問の志太 勤(しだ つとむ)が、2025(令和7)年7月9日(水)23時13分にうっ血性心不全により永眠いたしました(享年90歳)。生前のご厚誼に深謝申し上げると共に、謹んでごお知らせ申し上げます。
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故人は、フードサービス事業を祖業として数多くの事業を生み出し、日本のサービス産業を変革し、サービスに携わる人々の地位向上を実現。総合サービス企業 シダックスグループの礎を創り上げました。
「高い志が人を輝かせ、事業を創り、世界を変える」。この創業者 志太 勤の想いを社員一同受け継ぎ、シダックスグループ永遠の魂として、未来の子どもたちのために、事業を通じて社会課題を目指す企業を目指して進んで参ります。
なお、故人の遺志および遺族の意向により、通夜および告別式は近親者のみにて執り行われましたことをご報告いたします。また、誠に勝手ながら、ご供花・ご香典・ご弔問等についても固くご辞退させていただきます。
現時点で日時・場所等の詳細は未定ですが、後日「お別れの会」を予定しております。
<志太 勤が、シダックスグループ代表取締役社長時代、および個人で行ってきた主な活動)>
【シダックスグループ 創業前の時代】
■1934(昭和9)年10月14日
静岡県田方郡韮山町(現、伊豆の国市)で生誕
■1952(昭和27)年
高校在学中(高校二年生)に、静岡県三島市の大衆食堂「大炬燵(おおごたつ)」で勤務。経営者としての道を歩み始める
■1953(昭和28)年3月
静岡県立韮山高等学校卒業。卒業後は大衆食堂の経営に専念
■1956(昭和31)年
静岡県で、冷菓製造事業の会社を設立。運営を行う
【シダックスグループ 代表取締役社長 時代】
■1959(昭和34)年
1月5日 「富士給食」の屋号で創業。東京都調布市の企業内工場(社員食堂)にて、食事提供業務(フードサービス<給食>事業)を開始
■1960(昭和35)年
5月11日 「富士給食」の屋号を改組し、フードサービス事業を主体とする法人「富士食品工業株式会社(現、シダックスコントラクトフードサービス株式会社)」を設立(本社:東京都調布市)。代表取締役社長に就任
■1964(昭和39)年10月
東京オリンピック大会組織委員会より指定を受け、大会運営スタッフの食事提供業務を受託
■1967(昭和42)年3月
神奈川県海老名市に、国内初の、給食食材の低温集配や貯蔵・加工・物流を担う食材物流センターを開設(全国給食協同組合連合会と共同出資し設立した、全国協同給食食材株式会社<当時>で運営)
■1967(昭和42)年4月
東京都調布市に、厚生省(現、厚生労働省)の認可を受けた、産学協働による調理師専門学校「フジ調理師専門学校(後に、志太学園調理師学校に改称)」を開校。調理師の人財育成に寄与(2001<平成13>年の休校まで、計2,311名の調理師を輩出)
■1970(昭和45)年3月
「日本万国博覧会(大阪万博)」の警備員用食堂(大阪府吹田市)、万博見学者向け宿泊施設内レストラン(大阪府高槻市)の食事提供業務を受託
■1974(昭和49)年4月
東京・西新宿にオープンしたばかりの新宿住友ビル内で、日本初の高層ビル内カフェテリア方式による食堂を受託運営。以後、新宿三井ビル、サンシャイン60等、都心の高層ビル内食堂を次々に受託
■1974(昭和49)年12月
本社を東京都新宿区に移転(新宿住友ビル内に)
■1976(昭和51)年12月
西ドイツ(当時)の企業と業務提携。完全調理済み冷凍食品(完調品)の開発を進める
■1980(昭和55)年
西ドイツ(当時)で得た完全調理済み冷凍食品(完調品)の技術を改良し、調理スタッフが1名でも、必要最小限のオペレーションで食事提供が可能な「SL(シダランチ)システム」を、都内の銀行支店内食堂にて開始。後に全国の銀行支店内食堂にも展開
■1983(昭和58)年12月
東京・新宿NSビル内で施設内売店事業(後のコンビニエンス中食事業)を開始。後に病院・オフィス内にも拡げ全国展開(※2020<令和2>年、事業終了)
■1984(昭和59)年3月
食堂を持てない企業でも、福利厚生の一環として、近隣のレストラン等で共通食券として使用できる、スーパーダインチケット(後に、シダックスバウチャーチケットに改称)事業を開始(2002<平成14>年、事業終了)
■1985(昭和60)年3月~9月
「国際科学技術博覧会 つくば’85」(茨城県谷田部町<現、つくば市>)の博覧会協会本部食堂、売店、報道関係者専用レストランの運営を受託
■1985(昭和60)年4月
社内に、アスリート食研究所(現、シダックス総合研究所)を発足。食事提供業務を受託する社会人ラグビー・サッカーチーム等で得た知見を活用。後にシダックス野球部選手、および国際大会に出場するスポーツ選手の食事を通じての栄養サポート・研究を現在まで続けている
■1986(昭和61)年
病院給食の民間業者への一部委託解禁に伴い、本格的に病院給食事業に進出
■1989(平成元)年1月
病院給食を行う業界団体を発足すべく、給食会社数社と連携し、社団法人(現、公益社団法人)日本メディカル給食協会を設立。初代会長に就任
■1991(平成3)年
シダックス軟式野球部を発足。1993(平成5)年より、硬式野球部に。チームの総監督を務める。故・野村 克也氏を監督に招聘し参加した2003(平成15)年の第74回都市対抗野球大会では準優勝を獲得(※2006<平成18>年に廃部)
■1993(平成5)年8月
レストランカラオケ事業を主体とする株式会社シダックス・コミュニティープラーザ(後にシダックス・コミュニティー株式会社に改組)を設立。代表取締役社長に就任
■1993(平成5)年12月
東京都立川市にレストランカラオケ・シダックス1号店・立川栄町クラブをオープン。「地域のコミュニティー・センター」をコンセプトに、後にバリアフリー対応、健全で清潔かつ美味しい食事を楽しめるカラオケ店を全国約300店舗まで拡大(※2018<平成30>年、事業終了)
■1994(平成6)年7月
病院給食業界がまだ「料理が冷たい、提供時間が早過ぎる」いう時代の中で、病院内食事提供業務施設に、和食、洋食、中華等喫食者様が料理を選択可能で、摂取できる栄養量を考慮しながら温かい状態で食事が可能な「シダックス・メディカル・カフェテリア」プログラムの導入を開始
■1996(平成8)年4月
シダックス株式会社(現、シダックスコントラクトフードサービス株式会社)の株式を日本証券業協会の店頭登録銘柄として登録
■1996(平成8)年4月 シダックス株式会社(現、シダックスコントラクトフードサービス株式会社)の公式WEBサイト(ホームページ)を開設
■1996(平成8)年10月
個人活動として、店頭公開で得たキャピタルゲインを基に研究開発型のベンチャー企業に資金や経営ノウハウを支援する「志太ファンド」を設立(基金50億円)
■1997(平成9)年4月
個人活動として、ベンチャー企業支援のための人材育成機関として「志太起業塾」を開校(※2003<平成15>年3月に終了)
■1997(平成9)年8月
O-157(腸管出血性大腸菌)の多発を受け、原材料の調達から加工、提供まで一貫した衛生管理手法・給食サービスHACCP(Hazard Analysis and Critical Control Point)方式の導入を表明(※1998<平成10>年4月に本格導入開始)
■1997(平成9)年9月5日
シダックス株式会社(現、シダックスコントラクトフードサービス株式会社) 代表取締役社長を長男・志太 勤一に譲り、代表取締役会長に就任
【シダックスグループ 代表取締役社長退任後】
■2000(平成12)年1月
静岡県中伊豆町(現、伊豆市)に、シダックス・コミュニティー株式会社(当時)が運営する中伊豆ワイナリー シャトーT.Sがオープン。自身が農地確保からワイン造り至るまで、10年の構想を経てプロデュース
■2001(平成13)年4月
持ち株会社、シダックス株式会社設立により、同社の代表取締役会長に就任
■2012(平成24)年6月
シダックス株式会社 取締役最高顧問に就任
■2016(平成28)年9月
一般財団法人 モバイルスマートタウン推進財団(現、財団法人デジタルスマートシティ推進財団)設立。代表理事に就任
■2024(令和6)年2月
シダックス株式会社 取締役最高顧問を退任(シダックスグループの役員を退任)。顧問となる
■2025(令和7)年7月9日
うっ血性心不全により、逝去(享年90歳)
<主な受章・受賞歴>
■1993(平成5)年4月
藍綬褒章 受章
■2002(平成14)年8月 日本食糧新聞社制定・農林水産省後援
「第35回食品産業功労賞(外食部門)」受賞
■2006(平成18)年4月
旭日重光章 受章
<主な公職歴(※団体名は、2025<令和7>年7月現在の名称です)>
■1985(昭和60)年5月
公益社団法人 集団給食協会 4代目会長就任
※1987(昭和62)年5月まで歴任
■1989(平成元)年1月
公益社団法人 日本メディカル給食協会 初代会長就任
※1993(平成5)年5月まで歴任
■1993(平成5)年5月
公益社団法人 日本給食サービス協会 6代目会長就任
※1997(平成9)年5月まで歴任
■2000(平成12)年5月
一般社団法人 東京ニュービジネス協議会 5代目会長就任
※2006(平成18)年5月まで歴任
■2001(平成13)年1月 一般財団法人 日本中学生野球連盟
初代会長に就任
■2003(平成15)年9月 公益社団法人 日本ニュービジネス協議会連合会
初代会長に就任
■2016(平成28)年9月 一般財団法人デジタルスマートシティ推進財団
代表理事に就任
<主な著書(協力著書含む)>
■1997(平成9年)年10月
『燃えよ!』(発行:財界研究所発行/発売:扶桑社)
■1998(平成10年)年6月
『60歳起業論 いま中高年が主役の時代』(発行・発売:東洋経済新報社)
■2015(平成27年)年5月
『志魂の道 シダックス55年史』(発行:シダックス総合研究所出版/発売:河出書房新社)
※インタビュー・証言者として登場
■シダックス代表取締役会長 志太 勤一のコメント
故 志太 勤は、「日本一の商売人になる」という志を抱き、1959(昭和34)年に弊社を創業、翌1960(昭和35)年に法人化しました。以来65年にわたり、多くの先達の努力が結集され、今日のシダックスグループが創り上げられました。
故人は、事業の成功と失敗、挫折もありながらも、多くのお客様を幸せにしたいという「大義」のために、そして真面目に頑張った社員の努力が還元されるべきであるという「努力還元」の理念を掲げてきました。1997(平成9)年の代表取締役社長退任後も、より良い社会の実現のために、亡くなる直前まで全身全霊で、多くの活動に取り組んでおりました。
故人が私、そして社員に常々語っていた「成功は『志』の強さで決まる」という言葉を胸に、今後とも社業の発展に努めて参りたいと存じます。生前のご厚誼、本人に成り代わりまして心より御礼申し上げます。